前回に続いてヘキサチューブルです。当分このネタが続きます。(私の理解している所までになりますが…)
私達は3次元空間上に居るだとか、3次元時空に暮らしていると認識しています。
3次元時空は時間の概念が入るので4次元だという話も聞きますが、空間上の共通部分は3軸で「3次元」です。
(空間や時空が曖昧で、どう使い分けて良いのか?は、物理とか学問に携わっていない素人には難しい所ですね。ヌーソロジーは空間を思考する要素が大きいので、ゆるっとぬーそろじーでは空間と時間は分けて考えます)
ヘキサチューブル内の3次元空間の原型は、内接する正八面体でした。これは正八面体の内部にある3軸が直行しているから、そう考える事が出来る…というお話でした。
3次元の空間はヌーソロジーでは点球次元と呼ばれています。
点球次元のお話はこちらの漫画でこっそり描いていますので、良ければお読みください。
点球次元
・点から球に広がる方向が空間の広がり
・球から点に縮む方向が過去から現在になる時間の流れ
・点から球に広がる方向が空間の広がり
・球から点に縮む方向が過去から現在になる時間の流れ
言い換えると点球次元から時間の設定のようなものはあるのですね。
ただし、この場合の時間は空間にセットされたような時間の概念なので、時間の軸があると言うより、空間が広がると同時に時間も動く…と言った空間に溶け込んだ感じのセット販売的な時間となっています。
この事から「時間」のみについて考えると、3次元空間から3次元空間が見えないように、3次元空間に溶け込んだ時間も3次元空間からは見えない事になります。
そうですよね?私達は空間上に時間の流れを見る事は出来ません。
だから時間の経過を見る為に時計がある訳です。
私達が時間の経過を知るのは時計を見るほかにも、対象物の変化を時間の流れとして見る事が出来ます。
例えば木の影の長さの変化から朝から昼になったとか、朝顔の花の状態から時間が経った事を知る訳です。
このように3次元空間に溶け込んだ時間は直接見る事は出来ず、変化や経過を時間の流れとして置き換えて見ているのですね。
ところがです。見えない時間そのものを私達は感じる事が出来ます。
つまり先ほど書いた「見えの変化を時間の流れだと置き換えている」感覚そのものです。
そして昨日の出来事を思い出したりする(記憶がある)のも、時間を認識する感覚があるからで、現在と過去と言った時間の違いや流れが分かるから出来る訳です。
つまり時計の数字の変化に時間を感じるのも、影の長さの変化に時間の経過を感じるのも、時間を感じる事が出来ているからですね。
という事は、見えない時間を感じているのは空間でいえばどこにあるのだ?です。
そうです。この場合は「4次元上」と解釈しても良さそうです。
だとすると3次元の観測位置である3次元空間の無限遠点に出て、私達は初めて3次元上の時間がまるで見るように感じられる…。
と、そんな解釈になっても良さそうです。
因みに3次元空間の無限遠点は、ヘキサチューブルの頂点にあたります。
ヘキサチューブルの内包する球空間がどんなに広がったとしも、頂点には触れる事が出来ませんからね。
だから3次元空間の無限遠点である頂点の位置は、空間の広がりを受け取る側で、空間にセットされた時間の流れを受け取る側になると言っても良さそうです。
さて。
4次元の無限遠点からは時間が見えるように感じると書きました。
そして4次元で3次元空間にセットされた時間を受け取る事が出来るなら、受け取る逆向きの時間は一体何になるのでしょうか。
つまり4次元上の空間が縮む方向にある時間の事です。
これは3次元空間にセットされた時間とは別の時間です。
言い換えると過去から現在とは逆向きの、現在から過去に縮むような空間としての時間です。
この小さく縮むような空間と、3次元時空の時間を逆行するような時間の事を、ヌーソロジーでは「持続」と言います。
これは3次元時空にある空間に溶け込んだ時間では無く、4次元上の時間であり、それは4次元の空間にもなっているよってお話になります。
…この辺りのお話は長くなりそうなので、今回はここまでです。
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