今回はマカバを扱ってみました。
こちらの内容も半田さんのポストから影響を受けて描いています。
正8面体を支える3本の座標軸が、私たちが感覚化している3次元です。一方、4次元の四本の座標軸を結ぶところに生まれているのが正四面体です。3次元が二つの双対の正四面体の交差部分に生まれているのが分かります。ここには3次元の客観性と4次元における二つの主観性の関係が端的に表されています。 pic.twitter.com/neiqmiyzEq
— 半田広宣 (@kohsen) August 16, 2023
人間の感じている3次元性は半田さんのポストや漫画の通りです。自己他者のマカバの重なりの中に正八面体があって、この内部の3軸が3次元性を表しています。
この正八面体を一つの球で覆ったイメージが「垂子」次元になるかと。ヘキサチューブルの正四面体の内部に入る球空間のイメージですね。半田さんはお中元のメロンの箱の中にあるメロン…のような例えをされていたかと思います。
そして正八面体の内部の方に入る球(空間)が「点球」次元のイメージになるかと思います。
それで今度はヘキサチューブルを内包する球空間は何ですか?になると思いますが、これが垂質のイメージになりますね。
このようなヌーソロジーの「観察子」とか「次元性」を考える際に大事なのは、ヘキサチューブルの正四面体の頂点が、3次元的な位置からは無限遠点になっている事を忘れない…でしょうか。これは四次元空間の事を通常の三次元上で思考するのですから、当然と言えば当然なんですがね。ヌーソロジービギナーのサイト主もよく忘れてしまいます。
なのでヌーソロジーの構造を考える際は、「観測者」とか「見る」になった時は、既に見るの対象の次元からは無限遠点の位置から見ているを忘れない…がポイントになるかと。
この事を言い換えると、思考の際に「無限遠点」が抜けている時は、身体のある位置に落ちている…と言って良いかも知れません。
ここからはサイト主の余談になりますが、「無限遠点から見る」とは、常に前しか無いのでは?と考えています。
つまり「前を見れば、後ろがある」と分かっている時は、既に次の次元(と表現が正しいのかは分かりませんが、見るの次元から抜け出ているの意味です)になっていて、そこは見るの位置からは無限遠点になっているのでは無いかと。
だから「後ろがあるぞ」といった感覚は、見るの位置からは次元が一つ下に落ちた身体の感覚になっているけれど、「後ろを見る」といった意識や思考は、身体の位置よりも上の次元になっているのではないかと…。
このような「見る位置」の思考は、ヌーソロジーの観察子構造からひも解けそうですが、身体の感覚から感じたい人は、舞踏家の最上和子さんのポストを読むのが良いと思います。
最上さんは朝にポストをされている事が多いので、サイト主も朝の目覚め的に拝見させて頂いております。(と言っても、サイト主には難しい話なんですが…)
踊る時には自分の背後に、亡霊のように何者かが立つ。この感覚がなんなのかわからないが、これがないといい踊りができない。この亡霊と自分が重なって踊りができる。これがあれば踊りはただの手足の運動ではなくなる。
— 最上和子 (@walhallahlaw) October 24, 2023
踊りにおいては歩くとき、立つとき、座るとき、「背後は無意識の大海原」「前は私たちが生きる現実世界」と私は言っています。実際にはそんなはっきり分けるほど単純ではないにしても、基本の考えはそうです。ここで面白いのは、背後がそのようにリアルにイメージできるようになると、
— 最上和子 (@walhallahlaw) June 28, 2023
最上さんがヌーソロジーサロンの方でゲスト出演された回がありますので、こちらもよければご覧ください。
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