前回のまとめと感想は、コチラの記事で確認できます。
という事で、今回の本編のライブ動画はこちらです。
今回は「地固め」という事で、「人間の外面の発見と、空間認識の反転を確実にする回」のタイトルで始まりました。
という事で、早速まとめへと進みます。
「残像」としての「時空」から脱出せよ
まずは基本的な部分の復習でした。統心さんは私達の暮らす3次元+時空世界の事を、瞬間的な残像の世界だと言います。
そして瞬間的な時空の世界は、あくまで「作られた側」であるとの事。
更に、時空の世界が私達の良く知る3次元時空のオモテ側だとすると、「作り出す側」は時空の果ての遥か遠い場所に存在するのではなく、まるでオモテをひっくり返ったウラ側のようなイメージで存在し、そこはオモテ3次元である残像世界を照らす光源側である…。
更に言えば、ひっくり返ったようなウラ側が光源の世界で、そこがヌーソロジーの言う持続の世界であり、素粒子側の世界になっているのだそうで…。
と、かなりざっくりとした説明ですが、概ねこのような内容で語られていたかと思います。
素粒子はひとつしかない
続けて、レクチャー内の質問を取り上げて、素粒子の世界観の説明へと続きました。一般人の我々が描く素粒子のイメージは、物質の元として存在するイメージですね。
なので素粒子は、物質の数だけ…それこそ数えきれない程の素粒子が存在しているようなイメージが描けます。
と、ここで統心さんは、Youtubeチャンネルの「noosなくらし」の中から、一つの動画を取り上げて下さいました。
(ヌースクール内では、「34:30~ 単一電子宇宙仮説とヌーソロジー」の部分を取り上げていましたね)
半田さんの説明によると、ヌーソロジー的には、「4次元では1こであるものが、3次元では無数に影を作っている…」や、「大元の仕組みは一つ」であるとの事なので、統心さんの説明にあったように、「光源」側では素粒子は一つとして見る事が出来るようです。
もしも本当に半田さんの言う通り、大元の仕組みが存在するとして、ここに存在する「たったひとつ」であるものが、3次元空間に影を落として、それが様々な素粒子として私達の世界に現れている(見えている)のだとすると、「たったひとつ」であるものは何なのか?…という素朴な疑問が浮かんでしまいます。
とは言え、この問いの答えは、それぞれがそれぞれの考えで得る方が望ましいような気がしますので、サイト主のように新たな謎が生じた方は、色々と考えてみて下さいね。
広大な時空の現象世界と単一素粒子の関係は円心?
さて、本編に戻ります。本編では「円心」の話に入っていきました。
先ほどの説明にあった光源側にあたる点が、単一の素粒子であるとしたら、この点の中は、広大な時空世界を一点に集約させた上に、さらに裏返ったイメージで描けるようです。(これがリンゴ反転ワークに通じていますね)
…と上記のように言葉で説明されても、リンゴワークの反転や、次に続く円心の話も、一般的な感覚で理解したり、イメージを描いたりするのはかなり難しいように思います。
そこで統心さんは、「反転」の図を用いて説明に入りました。
(サイト内でも反転については取り上げています)
『反転とは、「現場の思考でなる事で、視点の交換」である』
このような文言から、自分自身が渦になれば、渦からはどのような風景が見えるのか…?の問いに続きました。
そうです。
渦の周りから見れば渦を見れば、渦の方が回っていますが、渦自身が見る景色は、周りの方がが回っているように見えるはずです。
そしてこのようなイメージを描く事が、反転への気付きの第一歩になるとの事。
ここから更に発展させて、円心図の反転から、3次元への空間的な反転になると、内部と外部がひっくり返っているようなイメージとなるようです。
例えば、リンゴを用いて反転の事を考えると、リンゴの果肉側の内部が外部で、リンゴの皮側が内部になりますが、これがオコツトが交信初期に送ってくたビジョンのイメージに近いようです。
(核質側の感性球と無核質側の球精神の図です)
次に円心の図を用いて円心の関係についてのお話になりました。
例えば、円心の図を見ると、一方の円の中心点は、もう一方の円の円周になっています。
このような対の関係性は、それ自体が充足した完全な状態とも言えるので、円心以外の何かを補足する必要な無いし、円心以外は存在しないと言えます。
このような状態を例えると、それはメビウスの帯として見る事が出来ます。
メビウスの帯は、オモテとウラが捻じれの位置で繋がっていて、オモテとウラの違いが明確出ないとも言えます。
ここでヌーソロジーで言われる、「物の中に入る」とは、円心概念を用いれば、内と外がひっくり返ったイメージで描く事が出来て、更に言えば、それは内も外も無いようなイメージに繋がります。
こうしたセッティングができて、今まで物の外部として見えていた空間が、物の内部であったことが分かってきます。その構造を数学的に記述しているのが量子力学です。つまり、量子構造というのは、物質の構造というよりも、私たち人間の精神構造なのです。
— 半田広宣 (@kohsen) February 18, 2025
このような円心概念を我々の宇宙認識に用いて考えると、自分から広がるイメージの時空間の世界は、素粒子としてひっくり返っていると見なす事が出来るとの事。
もしも、このような円心関係が、宇宙の真の姿だとすると、宇宙そのものは、内も外も無く、永遠であり絶対的な世界観であるといえます。
だとすると、虚無とは、外部の無い世界に、無があると描く偽りの無のイメージが元になっているのかも知れませんね。
と、ここで話を戻すと、サイト主が疑問に浮かんだ、大元の仕組みとしてのたった一つであるものを、レクチャーの中では、「真無限」の事のように思いました。
また統心がおっしゃるには、真無限とは、無数の(人の数だけ)際限の無い(無限の)宇宙を作りだす事が可能だとの事。
因みに、このような無限に作り出される宇宙の事を、スピリチュアルでは「一人一宇宙」と表現するようで、そこから、それぞれの個々のイメージを持つ内面的な宇宙を、無限に生み出す事が可能だと解釈が出来るようです。
(このイメージは、noosな暮らしの一つの素粒子が多くの影を落とすイメージに繋がります)
新無限のお話から、次は西田哲学の「絶対無」のお話になりました。
絶対無は、全ての可能性がある、真の無限の事だと統心さんはおっしゃいます。
統心さん曰く、真の無限が何にでも成れるものだとしたら、それは何もしていない…という事になるらしく、ヌーソロジー的な神の位置は、重心であり、全てのバランスが折り重なった位置のようなイメージになるようです。
なので、何かを取りまとめ、何かを成している一神教の神様のイメージとは少し違うようです。
因みに、絶対無についてサイト主がふと思いついた事をYoutubeチャンネル内でラジオとして公開していますので、良ければですが、作業しながらのお供や、暇つぶしの相手として再生してみてください。
さて、サイト主の余談はこの位にして、本編では、リーマン球のお話に入りました。
リーマン球は、対応する平面との関係性において、大きさの概念が意味をなさない…つまり、対応する平面側の大きさと、リーマン球自体の大きさは連動しないイメージです。
言い換えると、小さな無限小のリーマン球に、無限大の平面は対応する事が可能だと言う事。
そしてこのようなイメージは、オモテとウラの関係として見る事ができますが、これがあくまでアナロジーで、現場の思考とは言えないとの事。
という事で、ここから現場の思考としての実感への入り口へ続く話になりました。
地図の思考から現場の思考への反転
さて、前編はあくまで説明的な地図の思考で、現場の思考ではありませんでしたので、ここからは、地図の気付きから先へ進むお話になっていきましたね。ここからは、人間の外面と内面の、反転の図への理解がポイントになってきます。
昨日のサロンは久々に人間の内面と外面のお話。例えば、目の前にリンゴを見るとき、リンゴの表面が反転してリンゴの背景面になっている。この視点が持てれば、自己と他者を表裏一体の関係として空間に内在するものへと変容させることができる。昨日、これをドゥルーズならって、「宇宙卵の卵割」とした… pic.twitter.com/bKTZa0mZN9
— 半田広宣 (@kohsen) January 12, 2025
上記の図への理解は感覚的にはかなり難しいように思いますが、統心さんは、「直達正観」の解説がその事にあたると言います。
『人間の外面とは、見える世界の事で、人間の内面とは目に見えない世界の事』
そして見える世界とは、観察の世界で、知覚空間で、いわゆる「前」の事。
一方の見えない世界とは、推察の世界であり、言語化空間で、「後ろ」の事。
更に言えば、「前」と「後ろ」の、それぞれの二つの世界は、円心関係となっている…。
まずはこの事への「気付き」が最初の段階ですね。
そして、ここから体感的なものとして「理解」に進むと、体感として前と後ろは別の空間イメージになるようです。
ここからは完全に余談ですが、垂子次元のイメージをサイト主の体感として表現すると、前と後ろの空間があるというより、「知覚=前しかない」のイメージに近い感じがします。
これは「私」や「自分」の観察の位置が曖昧というか、私が見ている…といった感覚が曖昧で、物事に集中している感覚です。
そして、この時の知覚そのものを表現する際に、「後ろ」だとか「言葉」が必要になる…といったイメージを持っています。
例えば絵を描いている時は、次は赤を塗ろうだとか、黄色の次は青を塗ろうだとか、そういった思考的な組み立てはかなり曖昧になっています。
それにパソコンで文字を打つ時も、次は「エンターキー」を押そうだとか、「t」の後は「a」を押そうだとか考えないですよね?
このような絵を描いている瞬間や、文字を打ちこんでいる真っただ中にある意識は、単に、目の前の絵の出来上がり具合だけに集中しているような感覚に近いので、この時の「無自覚」や「無意識」に近い感覚が先行するような時の事を、サイト主は人間の外面のイメージに近いと考えています。
他にも、自転車に乗っている時は、進行方向全体(前です)しか見ていないですし、その反面、全体の流れを俯瞰しているような時もありますよね。
この時に、「私が自転車に乗っている」という自覚は殆ど持っていないと思います。
と、これがサイト主の考える「人間の外面」のイメージですが、どうですか?
とは言え、この辺りの正解は自分で見つけるのが楽しいと思いますので、色々なシーンで考えてみて下さい。
多分の話ですが、「今は人間の外面かな?内面かな?」と考える直前までの、無自覚の時が人間の外面側になっているような気がします。
これも色々な体感や実感が伴うものだと思いますので、まずは統心さんのおっしゃる「前」と「後ろ」の違いは、何がポイントになっているのか?や、何をもって「前と後ろを分けているのか?」について考えるのも楽しそうですね。
さて。
統心さんがおっしゃるように、前が人間の外面で、後ろが人間の内面だとすると、これらを体感的に理解するにはどうすればいいのでしょうか?
本編ではまずは見えの違いについて作られた動画が流されました。
ここではΨ3とΨ4の違いがどのようなものかが分かりやすく比較されていましたね。
そしてここから「リンゴワーク」へ入って行きました。
リンゴの反転ワーク
リンゴワークへ入る前に、空間の広がりと収縮を考えると、それは方向の反転というより、反復とか、反対方向への転換のイメージになりますから、まずは実際に手を広げたり、縮めたりすることで、空間的な反復のイメージを作るようです。次に、メビウスの帯を半分に切った図を見れば、ねじれの位置が四か所あった事に気付きます。
この時に生じた上下の位置にある捻じれは、Ψ2とΨ3へのミクロ側から大元の仕組みへと還るポイントになっていると見る事が出来るようです。
そしてΨ4は、Ψ1と2の反復の延長にあるようなイメージの、外が外で、内が内の空間になっています。
一方のΨ3は、Ψ4が反転しているので、外が内で、内が外の空間になっていました。
つまりメビウスの帯の捻じれのポイントは、空間の捻じれのイメージで、内部と外部がひっくり返っている場所になっていると言えます。
(この辺りの説明は、この文章で考えるより、動画を見て確認して下さいね)
このようなイメージを、リンゴを使ってイメージするのが、リンゴ反転ワークにあたるようです。
つまり、リンゴの内部を縮めた空間の、更に縮んだ空間は、リンゴの外部が広がっている…といった、内と外がひっくり返っているイメージをリンゴで描くワークです。
サイト主としては、このリンゴワークを風船に置き換えても出来るような気がしました。
例えば、風船が膨らむ、縮むはΨ1,2の反復のイメージです。
そしてΨ3にあたる反転とは、風船の外から針のように細いもので押し続けると、いつの間にか風船自体がぐでんとひっくり返って、外側だった部分が風船の内側になって、風船の内側だった部分が外側になるようなイメージで描けます。
この時、ひっくり返った風船の中に自分が居るとすると、リンゴの外でリンゴを見ていたハズなのに、リンゴの内側でリンゴの外側が見えている…といったイメージになります。
この事から、Ψ1,2の反復の観察は風船の外側で起きていますが、Ψ3が反転した空間だとしたら、風船の中から風船の観察が出来ている…といえますね。
とは言え、この方法だと収縮の先で起こるイメージの反転が描けないので、これが難点ですね。
このように、反転感覚を自身の感覚にあげるのはかなり難しのですが、まずは構造的に整理し、そこから日常の感覚にすり合わせていくといった地道な作業が必要そうです。
と、実は…ですが、このような空間の反転は、観察が起きている時点でそうなっている事のようなので、わざわざ空間的な反転のイメージを描く必要も無さそうなんです。
3次元空間に対する錯覚を解く最初の位置がΨ3の発見とも言えるね。僕らはどうしても対象の手前にそれを見ている自分の存在を置いているから、空間もその認識に合わせて概念化されている。だから、目に見える物の表面とその背景面が反転していることに気づかない。下図参照。 pic.twitter.com/3xruVQv13v
— 半田広宣 (@kohsen) March 11, 2021
半田さんのポストを見れば、空間がひっくり返って居る事に気が付けば、まずはそれで良いと言った感じもしますね。
なので、リンゴワークは、仕組みに気付く事とか、統心さんの言うように、背景と物の表面は、凹面と凸面のように反転しているイメージを持つ事が出来れば、それで良いかも知れません。
まとめ
という事で特別回はいつもより更に濃い内容になりました。リンゴワークの他にも、ヘッドレスワークや、魚眼レンズワークの紹介もありましたが、ヘッドレスについては、N氏さんのポストも参考になります。
ヘッドレス👇ってこう見たままの見方ができる意識状態のこと https://t.co/pycayxmwvq
— N氏 (@N32087047) October 5, 2024
世界の穴=自分の顔・頭は自分では見えない、つまりポッカリ穴が開いているようなもの ここが本当の思考の始まり
— N氏 (@N32087047) October 10, 2024
無限遠点っていうと一気に味気なくなるけど笑 https://t.co/TzFIoaqOqe
自分の顔が無い世界が主体の世界…なんですね。
さて、今回のまとめです。
素粒子は一つ
①素粒子は沢山あるのではなく、大元の仕組みの影として沢山現れているように見えている
②素粒子はウラ3次元であり、オモテ3次元を作り出す光源側である
円心
①円心は反転を示している
②二つの円を合わせて一つと見る事が出来る
(一方の円の中心点は、もう一方の円の円周になる)
③円心関係は完全であり、円心自体に外部や内部などの表現は出来ない
④リーマン球の概念にも当てはめる事が出来る
人間の外面
①人間の外面は見える世界の事
②物の背景面と物の表面は凹凸面が反転している
③自分の顔が無いヘッドレスである
という事で、簡単ですが内容を書き出してみましたので参考になれば幸いです。
次回のレクチャーはいよいよ垂質次元へ入るとの事なので、更に内容が濃くなる感じがしますね。
お知らせ
ゆるぬーのYoutubeチャンネルでは「垂子」次元を考える動画を公開しています。よければこちらも参考としてお使い下さい。
動画が長いよ~という方は「3分ヌーソロジー」がお勧めです(上記の切り抜きです)
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