前回のまとめと感想は、コチラの記事で確認できます。
という事で、今回の本編のライブ動画はこちらです。
今回は「反転」が難問だなぁと感じましたが、皆さんはいかがでしたか?
という事で、早速本編のまとめへと進んで行きたいと思います。
顕在化と潜在化の復習
まずは復習です。私達が住んでいる(と思っている)世界の事を、統心さんは「残像世界」だとおっしゃいます。
残像で閉じられた時空の世界から脱出して、光源の世界に飛び込む事…つまり潜在化している「ウラ3次元」の世界を顕在化させるのが、ヌースクールの醍醐味なんですね。
そして潜在化した世界(光源)と、顕在化している世界(残像)の関係性は、ウラ3次元とオモテ3次元の関係性になっているとの事。
オモテ3次元の世界は「天球」のイメージで、広がりながら閉じた時空の世界で、これが現代科学の描く宇宙観であり、マクロ的な空間のイメージです。
対してウラ3次元の世界は、「素粒子」として見えているミクロ的な空間で、これが「点球」との事。
続けて、3次元球面宇宙の旅の復習もありましたね。
統心さんの言葉を繋げると、私にはこのようなイメージになると思いました
オモテ3次元の拡大空間
↓
宇宙の果てで反転する
↓
ウラ3次元の縮小空間
↓
無限遠点
↓
ウラ3次元の拡大空間
↓
ウラの世界で反転
↓
収縮しながらオモテ3次元の空間に戻ってくる(オモテ3次元の収縮空間)
↓
宇宙の果てで反転する
↓
ウラ3次元の縮小空間
↓
無限遠点
↓
ウラ3次元の拡大空間
↓
ウラの世界で反転
↓
収縮しながらオモテ3次元の空間に戻ってくる(オモテ3次元の収縮空間)
本編ではメビウスの帯を半分に切った図で、自己と他者を交えて説明されていましたね。
因みに、上記の流れを前回のまとめでご紹介した、サイト主の作った動画で上記の流れを当てはめてみると、光速度の壁や、素粒子をポイントとして見る事が出来ます。
オモテ3次元の拡大空間
↓
宇宙の果てで反転する=光速の壁の位置で反転
↓
ウラ3次元の縮小空間=宇宙の果てのさらに先は、空間と方向が反転している
↓
無限遠点=光速の壁の向こうは収縮する空間で、更に先に進むと拡大へ反転するが、この位置はオモテ3次元では素粒子として見えている
↓
ウラ3次元の拡大空間=素粒子の中ではマクロとミクロの入れ替わりが起こる
↓
ウラの世界で反転=反転位置は光速の壁の位置で、ここがオモテとウラの切り替わりになっている
↓
収縮しながらオモテ3次元の空間に戻ってくる(オモテ3次元の収縮空間)
↓
宇宙の果てで反転する=光速の壁の位置で反転
↓
ウラ3次元の縮小空間=宇宙の果てのさらに先は、空間と方向が反転している
↓
無限遠点=光速の壁の向こうは収縮する空間で、更に先に進むと拡大へ反転するが、この位置はオモテ3次元では素粒子として見えている
↓
ウラ3次元の拡大空間=素粒子の中ではマクロとミクロの入れ替わりが起こる
↓
ウラの世界で反転=反転位置は光速の壁の位置で、ここがオモテとウラの切り替わりになっている
↓
収縮しながらオモテ3次元の空間に戻ってくる(オモテ3次元の収縮空間)
かなり強引な解釈ですが、空間を客観的に考えるとこのようなイメージでしょうか。
とは言え、空間を客観的に考えるのはヌーソロジーの本筋では無いので、これが意識とどう関わっているのか?へと考えを進めていくのが最善な気がします。
さて、余談はこの位で本編に戻りたいと思います。
本編の続きでは、オモテ3次元の拡大球空間がΨ1で、縮小空間がΨ2に対応するとの事。
そうなると、ウラ3次元の縮小はΨ4になり、拡大空間がΨ3と見る事出来ます。
そして最新のヌーソロジーに寄せると、天球は感性空間でds空間。
更にds空間の境界が素粒子に直結していて、光源の世界はCFT空間と見る事が出来るそうですよ。
続けて、時空を超える話になりました。
統心さんは、時空を超える「彼岸」のイメージを、「向こう側へ行く」のあちらとこちらのイメージでは無いとおっしゃいます。
つまり、彼岸のイメージに見る「向こう側」とは、距離の遠いでは無く「反転イメージの向こう側」なので、無限遠点=遠い場所とは言えないのだそうです。
遠いや、近いという概念は、3次元空間の尺度の世界の話なので、通用しないのですね。
前回ヌースクールで出て来たフラットランドの話や、立方体を見る視線が四次元の視線だとすると、無限遠点は空間に直交しているので、3次元空間で言う「遠い」のイメージとは違ってきますね。
因みに…ですが、「反転」をイメージするには、砂子さんのレクチャーにあったコインの裏と表の関係性のようなイメージで見ると分かりやすいと思います。
例えば、オセロのコマは黒と白がそれぞれ対になっており、コマをひっくり返せば(反転する)、見えている側が消えて、見えていない側が現れるイメージです。
そして、オセロのコマの白と黒は、同時に見る事が出来ないのもポイントで、空間を自分の意識として置き換えると、オモテ3次元の空間を意識している時はウラ3次元は見えず、ウラ3次元を意識している時は、オモテ3次元の空間は意識出来ない…といった話になるような気がします。
そして、チョコエッグ型のイラストに描かれている、背中にピタリと重なる無限遠点は、肉体の背後や、空間の遠くのイメージよりも、ひっくり返った空間として描く事がポイントになってきます。
リーマン球面とヌーソロジー
(画像はウィキペディアからお借りしました)本編では、リーマン球の無限遠点(N点)以外の場所は、平面上に1対1で対応するとの事。
(お借りした画像では、P点以外の場所は、a=P(A)とA点が1対1で対応する…です)
ビギナー向けヌーソロジーサロンの回でも、リーマン球面の頂点である無限遠点(N点)から、平面に向かってレーザー光線を打てば、球面上のとある点を通って、平面上にレーザー光線が当たる…のイメージで説明されていたような記憶があります。
更に、リーマン球のイメージは、無限に広がる風呂敷の端(無限遠点)を結ぶように1点にまとめたもの…になるそうですが、これは文字にするより動画の方が分かりやすいので本編でご確認下さい。
そして、この時の風呂敷の包み(リーマン球)自体の大きさはあまり関係がないとの事。
確かに、リーマン球と平面の対の関係性をレーザー光線のイメージで考えると、リーマン球がどんなに小さくても、照射する角度は変わらない(リーマン球のN点から、平面上の遠くをレーザー光で指すには、平面と平行に近い角度で照射するイメージになるので、リーマン球の大きさは関係が無い)と言えるそうです。
このように、リーマン球の概念を使ってマクロとミクロを考えると、広大な風呂敷(3次元平面のマクロ空間)を包んでしまえば、それがどんな大きさの包みになったとしても、1対1で対応している…と見る事が出来ます。
無限遠点・リーマン球・射影空間の3点セット
ここまでをまとめると、リーマン球の頂点である無限遠点(N点)から、平面に向かってレーザー光を照射すると、リーマン球面を通して平面に光が当たります。この光線を視線に置き換えると…、
①無限遠点からレーザーを照射する=物を見る行為
②リーマン球を通る光線=視線
③平面に照射されたレーザー光線=見える3次元空間(射影空間)
になっていると考える事が出来そうです。
そして、リーマン球は精神世界で、射影空間は物質の世界になっているとすると…。
ここに光源と残像世界の関係性を見る事が出来ますね。
更に本編では、ここで円心の図が出てきました。
これは本編の動画で確認すると良く分かりますが、円の中心が肉体の位置で、ここが3次元空間になっているとすると、円心関係にある円側は、肉体を中心とする円の円周上に中心点が来ますので、円心関係を見ると、意識の位置が肉体の無限遠点になっていると見る事が出来るんですね。
円心を知る事は、人間が見えていない、隠された空間を見る為の最初の手がかりにななるので、これは押さえておきたいポイントですね。
地図の思考から現場の思考へ
私がヌーソロジーに出会った頃、「ヌーソロジー=空間認識を変える」といったイメージを持っていました。ヌーソロジーの顕在化を言葉で表現すると、その通りの文言になると思いますが、空間を対象としたまま空間を認識している意識は、空間認識自体が変わったというより、空間の違いを理解したとか、構造上として理解しているといったイメージの方が近いので、地図の思考と言えるのかも知れませんね。
ここから統心さんのおっしゃる、現場の思考へ至る事が「スクリーン意識」であり、ヌーソロジーの本当の醍醐味はここにあるような気がしました。
もちろん顕在化の最初の段階は、空間の構造的な「理解」から入ると思います。
けれど、理解の先に「体感」や「実感」が伴わないと、ヌーソロジーがただの「論」で終わってしまう…といった所でしょうか。
つまり「スクリーン意識」に「なる」事がヌーソロジーの言う、「空間認識を変える」の事になるのだと思います。
それでは、「スクリーン意識」に「なる」にはどうすれば良いのでしょうか?
本編では半田さんのポストが引用されていましたね。
どうやら、ポイントは3つのようです。⚫︎本来の自己視点を意識に浮上させるために
— 半田広宣 (@kohsen) October 23, 2024
「意識の位置は無限遠点にある」という感覚を呼び起こすためのイメージトレーニングを書いておきます。
1.視野空間をモニター画面として意識してみる… pic.twitter.com/4bEALjpxam
①視野空間をモニター画面のように意識してみる
②観測者の位置は不動である
③自己視点は「無限遠点」にある
①~③を踏まえて、先ほどのリーマン球のレーザー光線を指す話を元に、無限遠点から照射されたレーザー光がリーマン球を通って平面に届く事を、自分の視線に置き換えて考えて見ると分かりやすいかも知れません。
つまり、(見る)意識の位置は、無限遠点で、それが視線の始点(視点)です。
そして視線そのものは、リーマン球のように大きさ(物との距離や視線の物理的な長さ)に大きな意味を持てず、ミクロに縮む事も可能になっている。
そこから物が見えるスクリーンとは、リーマン球面でありながら、リーマン球の無限遠点からレーザーが射影された先の平面になっている…と考える事が出来ます。
以前、半田さんが「意識の位置は不動で、目の前の方がズルズルズルっと変わって行く…」に近い表現をされていたような記憶があるのですが(記憶違いだったらすみません)、ここでその話が繋がったように思いました。
統心さんの話を聞きながら、サイト主のが思い描いたのは、リーマン球面上の映像がズレるように動くイメージでした。
そして、それがそのままスクリーン上(リーマン球に対する平面側)に射影されているようなイメージになり、私達が見えている像は、無限遠「点」でありながら、リーマン球の「球面」であり、それは射影された、平たんな2次元状の「面」になっているのでは無いかと、そんな事を思って聞いていました。
人間の外面と内面
人間の外面と内面の言葉の捻じれは、ヌーソロジービギナーが、最初に出会う難問ではないでしょうか。サイト主もこの言葉に随分と苦労したものです。
サイト主のように、多くの人は外面の事を「外見」のイメージとして考えるので、「外見」=「自分の外見」になると思います。
なので外見や外面は他人から見られた姿なのかな?と思いますよね。(ヌーソロジーでは反対になるので要注意です)
一方の「内面」は、普通は「心の中」のイメージを思い浮かべると思いますので、「内面」=「自分の心」だとそう考えた人も多いと思います。
ここでヌーソロジーの「外面」と「内面」について統心さんの解説をしっかりと聞いてみましょう。
リーマン球の図で見ると、射影された空間(平面側)が「人間の内面」でここが物質的な世界の事。
一方のリーマン球自体が、「人間の外面」でここが精神世界だと書いています。
人間の外面
精神の世界
内在の世界
外面は「見える」ので「前」
知覚空間
観測(している)空間
私が見ている世界
内在の世界
外面は「見える」ので「前」
知覚空間
観測(している)空間
私が見ている世界
人間の内面
物質的な世界
外在の世界
内面は「見えない」ので「後ろ」
言語空間・推察(情報的な)空間
人から見られている世界
外在の世界
内面は「見えない」ので「後ろ」
言語空間・推察(情報的な)空間
人から見られている世界
ヌーソロジーでは、私が見えている世界そのものが、精神世界で、内在の世界であり、個々の主観空間である…なんですね。
知覚は脳で作られているのが一般常識だとすると、かなりぶっ飛んだ発想のように聞こえますが、良く考えて見ると、個々に見えている世界はそれぞれの世界が見えているはずです。
言い換えると、猫には猫の世界が見えていて、人間には人間の世界が見えている事と同じ…と言えるんですね。
個人的な解釈ですが、サイト主の思う内面の世界は、「レッテルを貼った空間」の事なのかなぁ…と。
レッテル貼りは誰でも経験する事だと思いますが、自分が嫌な思いをした際に、相手の事を指して、「あの人はきっと意地悪な人だ」とか、「あの人は私の事を嫌っているはずだ」…といった事を心の中に描きますが、ヌーソロジー的に考えると、それは内面の世界で、実は自分の心でさえも、何もかも見えていない可能性があるんですね~。
…いやぁ、このように考えると、ちゃんと前を見ないといけませんね。
さて、本編では外面をΨ3、内面をΨ4だと説明が続いていきました。
そして今回の最大の難問!がやって来ました。
ズバリ、「リンゴの背景空間は反転している」問題(?)です。
昨日のサロンは久々に人間の内面と外面のお話。例えば、目の前にリンゴを見るとき、リンゴの表面が反転してリンゴの背景面になっている。この視点が持てれば、自己と他者を表裏一体の関係として空間に内在するものへと変容させることができる。昨日、これをドゥルーズならって、「宇宙卵の卵割」とした… pic.twitter.com/bKTZa0mZN9
— 半田広宣 (@kohsen) January 12, 2025
ここで統心さんは「リンゴ反転ワーク」を使って、人間の外面を顕在化させる方法を教えて下さいました。
これが起こると、第一の反転となり、「位置の交換」が起きたと言えるのかしら?
まとめ
という事で、皆さんも「リンゴをひっくり返して」みたかと思いますが、上手く行きましたか?個人的に、リンゴワークの反転のイメージを持つには、「中心点の突破」をイメージで描けるかどうかが肝のように思いました。
私は物の中心点のさらに中は、広大な空間となっている…のイメージが描けましたが、どうでしょうか?合ってますかね?
それと、今回のヌースクールの後日、ぬーそろ爺こと、ヒデさんが解説の動画を上げておられたので、こちらも参考になると思います。
統心さんがFacebookで載せられていたとの事なので、参考になること間違いなしです。
要チェックですよ。
という事で、今回のまとめです。
①人間の外面は見える世界の事で、私達の内在であり、主観的な知覚空間である
②人間の内面は見られる世界の事であり、客観的な外在の世界で、見えない言語空間である
③人間の意識の位置は無限遠点で、3次元空間の延長上には無く、オモテ3次元空間に直交している
④物の背景は物の表面(外面)が反転している
⑤スクリーン意識になる事=空間認識の変容の始まり
余談で、参考になるかどうかは分かりませんが、個人的に半田さんへ質問をしたものがありますので、半田さんのサロン専用アカウントをフォローされている方は、「引用」ボタンから「引用を表示」で半田さんの回答をご覧になって下さい。
何かの参考になれば幸いです。
② 表面が反転して背景になっているとは、垂子は空間を内包するイメージだけれど、見えているものは、内包している内部や、内部の位置から見ているものと同じものが見えている…のように考える事が出来るので、背景は外側と内側が反転しているから見える…といったイメージで考えて良いでしょうか?
— さんがつ@月のうさぎ (@sangathusaezuri) January 21, 2025
ここでサイト主の質問の意図を書いてみます。
物周りの空間の垂子は、観測者の視線(物を見る意識)で作られたと考えると、観測者自身が内包する空間として考える事が出来ます。
つまり垂子の空間は、視線の始点(無限遠点)で囲まれた空間になっていると考える事が出来ます。
(とはいえ、無限遠点は動いていないので、無数の無限遠点で囲まれたとか、視線が4次元なので、このような表現になる事が可能だという、あくまでイメージの表現です)
そうなると、観測者が、自身の視線で内包する空間を見る時、観測者は、内包空間の内側の壁面を見るようなイメージになりますが、外から内は見えないので、内側がひっくり返って見えている…と表現する事が可能です。
若しくは、垂子の空間は、観測者が内包する空間になっていると表現出来ますが、観測者自身が内包する空間の中に入って(無限遠点なので無限に縮む)内側を見るイメージも出来るので、観測者自身の内と外が反転しているとか、内も外もあまり関係が無いと考える事も可能です。
言い換えると、観測者は、リンゴの外側からリンゴを見ているのですが、この時の垂子の空間自体を作っている観測者は、リンゴの中からリンゴの外を見ていると考える事が出来るので、リンゴの内側がひっくり返って外側(背景)が見えている…のようなイメージで考える事が出来る…と。
う~ん、言葉だとややこしくて難しいですが、いかがですか?
何とも分かりにくい表現になりましたが、端的に言うと、心の内側を心の外からは見えないので、見えるという事は反転してますね!…でどうでしょうか?
少し強引すぎましたかね?
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