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統心ヌースクール#04 「垂子の巻A・Ψ3~4」

2025/03/02
今回の記事はヌースクール#4のまとめと感想です。
前回のまとめと感想は、コチラの記事で確認できます。


という事で、今回の本編のライブ動画はこちらです。


いやぁ~。今回もかなり濃い内容になっていましたね。

今回も補足がありましたので、点球次元の回で扱った「3次元球面宇宙の旅」のイメージがかなり明確になったような気がします。

という事で、垂子の巻Aのお話に入っていきたいと思います。


目 次

残像世界と実像世界の復習

まずは点球次元のおさらいですね。

ヌースクールの動画の中で、洞窟の比喩の話が出てきました。
その際に映された画像を見ると、光源と残像が、それぞれ点球のΨ1とΨ2になっていました。
そして「素粒子に見えている本体」が、実在だと統心さんはおっしゃいます。

少し解釈が異なるかも知れませんが、統心さんのお話を聞いていると、人間が顕在化した点球次元のイメージは「天球」になっているイメージのように思いました。

この場合の「天球」とは、「広がる天」のように拡大する空間のイメージで、それは文字通り、天体などの大きな空間としての意味を含んでいます。

そして人間は、このような天球(拡大する、広大な)空間の中で暮らしている…と思っているのが、普通の人の感覚では無いでしょうか。

つまり、私達の宇宙は、前提として広大な宇宙空間が最初にあって、その中に太陽系や地球があり、人間は地球上で暮らしているイメージを描いていますから、空間自体をイメージすると、大きな空間としてのイメージが先行する…もしくは、空間と言えば、広がる空間のイメージが重い浮かぶ…といった具合です。

このような具合ですから、点球次元のミクロとマクロである、点と天の入れ替えのイメージが難しいのかな?と思いました。

さて。
点球次元は、縮小球空間と拡大球空間という、方向の違う空間(Ψ1とΨ2)で構成(あえてそう表現します)されていますが、画像では「光源」側に、ミクロや素粒子の文言がありました。

そして人間は、縮小球空間の拡散を素粒子という単体で堰き止めましたから、素粒子の中は、縮小し続けている縮小球空間だと想定する事が可能です。

また、反対に、拡大し続ける空間を光速度で堰き止めましたから、光速の壁の向こうは拡大が続く空間のイメージになります。

このように、区切りのあるのがオモテ3次元だとすると、区切りの無い場所がウラ3次元と想定する事が可能です。

更に、オモテとウラのそれぞれの縮小球空間と拡大球空間の、4つの空間に繋がりがあるとしたら…?

と、このような妄想からサイト主が勢いだけで作った動画が、前回の記事の最後に、蛇足でご紹介した動画です。


この動画の中では、観測者をメビウスの帯の外に置いて空間を見ましたが、ヌーソロジーの観察子構造は、精神の構造といえますから、観察者を外に置いて空間を観察する…という方法は少しおかしな方向かも知れません。

つまり、この方法だと観察者と精神構造が分離しているので、考え方としての入り口にはなるのですが、私が生きているだとか、私の心は何か?と言った、見えないモノを考える際の構造を考えるとしたら、観察子構造の中に、自分自身を投げ込まないとおかしな事になってしまいます。

とは言っても、自分自身を観察子構造に投げ込むには、どのように考えればいいのでしょうか?

ここで統心さんの補足がヒントになります。

統心さんが動画の中でおっしゃっていたのは、「宇宙の拡大をイメージして、そこで縮小空間へ反転し、極限からの無限遠点に到達」でした。

そして、(ここからのイメージがなかなか難しいのですが)「そこからさらに反転して元の位置に戻ってくる」になり、元の拡大空間に戻ってきます。

そしてこの時の反転位置は2箇所として説明されていたとの事ですが(これが前回のまとめ記事の最初の作成動画の内容です)、その仕組みを可視化するのに、メビウスの帯を使って補足説明をされていました。

更に今回も補足が加わり、少し修正のような形になったようですが、メビウスの帯を半分に切ると、実はねじれの位置が4箇所になっているのだそうです。

つまり、反転ポイントは4箇所だった??のでしょうか??

と、反転の話はさておき、動画の中で語られた、島津さんのアオダイショウの皮を剥ぐ話から、その光景を思い浮かべると、何ともシュールな光景と言いますか、ほんわかしたイメージとは似つかない光景が浮かびました。
実は島津さんはかなりの大胆な性格の方なのかも知れません…(笑)

と、アオダイショウの話は置いて、ここで本編に話を戻しますが、ねじれの位置が4箇所だったという事は、実は反転のポイントが4つある事になります。

そうなると、先ほどご紹介した、サイト主が勢いで作った動画の中でも、反転のポイントが4箇所だったので、この動画の話は辻褄が合いそうなイメージで一安心です。

(ここからサイト主の作成した動画の話が続きますので、興味のない方は少し飛ばして頂いて大丈夫です)

先ほどの動画の中では、オモテの拡大空間の先の光速の壁位置で、オモテとウラの空間の反転が起こります。
そこ(高速の壁の位置)からウラ世界の縮小空間に入り、更に拡大空間へ切り替わりますが、ウラ3次元の中で、縮小と拡大の空間の反転位置がありました。

その位置とは、観測者から見れば素粒子の位置になっているので、反転ポイントは素粒子なのでは無いかと考えました。

そして、ウラの拡大空間からオモテの縮小空間の反転の位置になるのは、オモテ拡大空間の先にある、光速の壁の位置(重なっている)になっていました。

ここでは、ウラとオモテの空間と、拡大から縮小への方向の反転が起こり、反転した状態でオモテの縮小空間を進むと、素粒子の位置で今度は拡大空間への反転が起こる…。
そのような動画になっていたかと思います。

この話は辻褄が合いそうで良いのですが、これは観測者をメビウスの帯の外に置いた場合の3次元球面宇宙の旅なので少し注意が必要ですね。

では、この旅に自分自身を投げ込むと、どのようなイメージになるのでしょうか?

ここで統心さんのヒントから「呼吸」を取り入れて考えてみます。

呼吸をヒントにするとは、空間の拡大縮小の4つのサイクルに自分自身を投げ込むようなイメージで考える事です。
そして、そのようなイメージを描くと、「私が居る場所」も反転ポイントになっている…と言えるのだそうです。

それに本編の中で統心さんは、明確に反転だとおっしゃっていましたので、「呼吸=空間の反転」として考えも問題は無さそうです。

さて、呼吸と言えば、ヌーソロジーでも呼吸の話があります。
公開されている動画では、noosな暮らしのチャンネルで半田さんがお話しされていましたね。


(動画の中の16:45あたりからです)

吸う時に主観…前方向を意識する。
吐く時に客観…後方を意識する。

一般的な感覚だと逆のイメージかも知れませんが、半田さんがおっしゃるには、吸う時には前方向に意識のベクトルが出ていて、吐く時に後ろ方向に意識のベクトルが出ている…のだそうです。

そしてライムさんのサイトにも、呼吸の記事がありますので、こちらも参考になると思います。


さて。
呼吸は「吸う時が前」で、「吐く時が後ろ」を意識するとは…?

この事を体感的に感じる前に、空間そのものの動きがどうなっているかをサイト主は考えてみる事にしました。

例えば、息を吸う時は、肺が膨らみます。
そして前の空間が自分側に膨らむ…のイメージになると考える事が出来そうです。
(前の空間を自分側に吸い込むとか、前の空間を広げるイメージで想像すると分かりやすいかも知れません)

このように呼吸と連動させると、前の空間からすれば、呼吸の吸うと共に、空間は拡大方向になると考える事が可能です。

そして息を吐く時は、吸うの逆方向ですから、息を吐くと同時に肺が縮み、前の空間も押し出されるように向う側へ縮むイメージが可能です。
(これは自分の息で空間を押しつぶすイメージで考えるとわかりやすいかもです)

このように考えると、前の空間からすれば、呼吸の吐くは、縮小する方向になります。

この話が参考になるかどうかは分かりませんが、サイト主のイメージから、呼吸と空間の方向の連動するイメージの動画を作ってみました。



呼吸自体は殆ど無自覚に起きていますから、目の前の空間と肺の空間の縮小と拡大は、無意識下では呼吸(運動)として等化されている…と考える事が出来るように思いました。

そこから、自分自身の体内を一つの見えない空間として考えると、体内の空間は、人間が見る事の出来ない「物」の中と同じと言えるので、体内を点球次元として想定する事が可能です。

このように、自分自身の体内の空間を点球次元として仮定すると、息を吸う時は肺が膨らみ、同じように前の空間も膨らむ方向と見なす事が出来ます。

逆に息を吐く時は肺が縮みますが、息を前に押し出すイメージから、前の空間が縮む方向と見なす事が出来ます。

このように考えると、体内と体外の空間の拡大と縮小の動きは連動しており、呼吸による肺の膨らみと収縮が、目の前の空間と連動しているとなると、体内と体外の境界があるようで無いような、そんな風にイメージする事が可能です。

つまり呼吸を通して表と裏の世界を想像すると、体内と体外の空間が曖昧のようで、同じような動きをしていると考える事が出来るし、呼吸自体は無意識ですが、呼吸を起こしている意識は確かにあるはずなので、呼吸を起こしている無意識が潜在化した意識の領域だと見る事が可能です。

という事で、このような無意識の働きは、いったい何処にあり、それは誰のものなのか?と聞かれると、位置は良く分からないけれど、「私の中に、確かにあるとしか言いようが無い…」みたいなイメージになります。

…と、上記はサイト主の考察というか、勢いだけの妄想話なので、皆さんも「呼吸」をヒントに色々と考えてみて下さい。



意識の位置を考える

ここから意識の話になります。
本編では3次元球面のアナロジーとして、チョコエッグ型にオミテ3次元とウラ3次元を置いて、意識の位置の説明がありました。

顕在意識の位置と無限遠点は、ピタリと背中で貼り付いているイメージでしたね。

そしてコウセンさんとオコツトとの会話に続きます。

「人間は意識の位置が顕在化していない…」

ここで統心さんは、「意識する意識に対して、人間は意識される意識しか分からない」と言いました。

続けて、人間の外面を発見する事が、4次元対象性を理解する事に繋がるとオコツトは言います。
意識の位置の発見は、人間の外面の発見にあたり、そうする事で4次元対称性の理解へと繋がると言います。
つまり、4次元時空の4つ目の次元として考えられている「時間」にも、対象を取れる「時間の反対」になるものがあると言う事になります。

続けて、人間の内面は外在の世界で、人間の外面が内在と読んでいる世界との事。

呼吸と同じく、普通の感覚と逆のイメージににりますが、オコツトが言うには、本当の外宇宙は私達の心の中にあるのだそうです。


ここでサイト主は考えた訳ですが、上記の半田さんのポストから、先ほどの呼吸を起こしている無意識側の意識の事を考えると、私達の顕在意識と潜在化している無意識は連動しているようなイメージになります。

そして、この連動を呼吸で考えると、体外の空間と体内の空間の拡大や縮小の動きになりますので、外と内に二つの意識があるのだとすると、それはまるで同じ動きとして、ピタリと重なっているようなイメージを持つ事が出来ます。



コウセンさんが追いかけた無限遠点を追いかける

さて、ここからいよいよ「垂子次元」の本題に入った感じがしました。

統心さんがおっしゃるように、「反転した3次元座標=ウラ3次元空間」だとすると、ウラ3次元の原点が無限遠点となります。

そしてコウセンさんが辿りついたもの…それは無限遠点の事ですが、この正体についての説明が続きました。

ここではライムさんのサイトにも同じ図があったのでそちらで詳細をご覧頂ければ…と思います。

当サイトではヘキサチューブルの回で取り上げた図や、ヌーソロジー研究所の動画を取り上げた際に描いた漫画にその片鱗が出ています。

統心ヌースクール#04 「垂子の巻AΨ3~4」

統心ヌースクール#04 「垂子の巻AΨ3~4」

統心ヌースクール#04 「垂子の巻AΨ3~4」

本編では、鉛筆の方向が4次元の方向として説明されていますが、鉛筆の方向が「見る」の視線と重なっているのだとすると…?

そうです。視線そのものは、3次元空間の次元の外から中を覗き込んでいるイメージになりますね。

少し題材は異なりますが、サイト主が四次元の入り口を見つけた衝撃はある意味でホラー体験でしたよ。


さて。
無限遠点が視線の位置だとすると、「見る意識の始点」が無限遠点とも言えそうです。

ただし、これはあくまで「意識」の位置なので、始点を肉体にある「目」として考えると、3次元時空の中の肉体の目玉が、無限遠点のようなイメージになってしまいますので少し注意が必要です。

ここでは目玉の機能ではなく、目玉の機能を「見る」として意識している意識の方と言いますか、「見ている事そのものの意識」として考えると、わかりやすいかも知れません。



見ているものが「2次元の平面??」

ここで、島津さんの鋭い質問がありました。
先ほどの鉛筆を用いた図や、視線が4次元として説明している図から、島津さんは「私達は3次元(立体)を2次元(平面)として見ているのか?」と尋ねられました。

その質問に対して統心さんは、視線の主観線と客観線の説明に入りました。

主観線は、観測者と物を結ぶ線の事です。
そして客観線は、物と物を結ぶ線の事。

先ほどのnoosな暮らしのチャンネル動画にも主観と客観の話題がありましたね。

つまり、ヌーソロジーでは、主観と客観が重要ポイントになっているという事です。

この時の図の観測者を自分自身に置き換えると、私と物を結ぶ線は主観線になります。

ところが、実際に自分で物を見ると分かるのですが、私と物との間に実際の距離を見る事は困難です。

この事取り上げた漫画がこちらですね。


主観線と客観線の違いとは、観測者から見えるもの…例えば物と物の間のように、実際の長さ(実軸や幅)が見えるものが客観線になっていて、観測者から見えない長さ(虚軸、奥行き)が主観線になっています。

私達は、この二つの線分の違いが曖昧になっていて、主観と客観線の二つを同じように扱っていますが、実は全く質が違う事に気づくのも、無限遠点の発見の第一歩と言えるかも知れません。

そして島津さんの質問の内容に触れていきます。

観察の幾何学では、「観察される次元」と、「観察する次元」は常に「N次元」と「N+1次元」の関係になる…のだそうです。

説明はこうです。

観測者と物との関係性は、観測者を始点にし、物側を終点とすると、その関係性は1つの線分になっているので1次元です。(視線の線分です)

続けて、「線」の観察行為は、観測者が線分の始点と終点を辿るので、観測者の視線の動きの過程は、平面になるのでその関係性は2次元で表現出来ます。

次に、「面(三角形)」の観察行為は、観測者が面の角を辿るので、観測者の視線の動きの過程は、立体的な3次元(三角錐)として見る事が出来ます。

この時の観測者の位置は、対象物と直行しているのもポイントです。

ここから考えると、私達が空間を3次元空間と観察しているとしたら、観察の視線自体は4次元的な動きをしている…と考える事が出来ます。

さて、本編では、ここからフラットランドの話になっていきました。

フラットランドの住人は、お互いに線分としてしか見えていないのに、自分達の暮らす世界が2次元の世界だと知っている設定のようです。

この事から、「2次元の世界だと知っている事」やフラットランドの住人の「意識の位置」は何処にあるのか…?の話に続きます。

2次元空間であるフラットランド住人の意識が、2次元空間の外にあるのだとしたら、3次元空間の住人である、スペースランドの私達の意識や観察の位置はどこにあると言えるのでしょうか?

そして、フラットランドの住人が見えているものが「線」であり、これが2次元だとしたら、私達が見えている空間は私達にはどのように見えているのが正しいのか…?

もし、私達がフラットランドの住人(2次元人)と同じように、一つ次元が落ちた世界(線分)が見えているとしたら、私達が見えているものは2次元の平面世界になっている事になります。

そうなると、2次元平面の見えの世界を、立体的に見立てている意識は、進化した意識のように思えるのですが、統心さんは、これを内面の世界だと言いました。

つまり、3次元空間に見えている世界は幻想で、見えそのものは2次元平面として見えている事に気付く事が、変換人の道筋になっているのだと統心さんはおっしゃいます。

この事から、「3次元に見えている=3次元空間である」は、幻想の世界の認識であり、「3次元空間は2次元として見える」が正しい認識で、このように認識を切り替えてその事を考えてみると、2次元の「面」には表と裏がある事に気付く事が可能です。

そして2次元平面の表と裏が、面を境に分かれているのだとすると、私達の見えているとする3次元の空間も、実は境がある、表と裏の空間で出来ている…と考える事が出来ます。

ここで本編では、ピカソの「泣く女」の絵が映し出されました。

「泣く女」の絵を見ると、見えそのものである、瞬間瞬間を同じ1枚の平面に同時に描いているように見えます。

つまり、この絵の中には、表情の異なる女の、瞬間、次の瞬間の、時間的な違いを、(絵として止まった時間の中に)同時に収めて描いているので、私達が3次元立体の世界を平面として見える事…つまり、「見る」の意識は、時間的な意味を持つ意識…と言えるかも知れません。



まとめ

今回は前々回や前回と比べて分かりやすい内容になっていたような気がします。

そして意識の位置や意識そのもの…ヌーソロジーと言えばで有名(?)な、人間の外面や内面、無限遠点について触れた回になっていましたね。

私達は高次元の意識をどこか遠くにある意識のように、文字通り、無限遠点を、無限に遠い点のように、広い宇宙の先にあると考えてしまいがちです。

けれど、呼吸の話や、見えの世界が平面になっている事から考えると、無限遠点の位置は、表と裏のように、背中に貼り付いているイメージなので、身近なものであるように感じる事が出来ました。


無限遠点と物を結ぶ、見る(知覚する)意識との関係性が、自分自身のイメージとして描けると、オモテとウラの世界もイメージしやすくなるかも知れませんね。

この記事を作る際に、動画内で取り上げた半田さんのポストに、たまたま私のポストが引っかかっていて驚きました。
(良ければコチラの動画もご覧ください)
(ショート動画は切り抜きなので、切り抜き元の本編が気になる方はこちらをどうぞ)



 という事で今回のまとめです。

①意識する意識に対して、人間は意識される意識しか分からない
②4次元は3次元空間を見る意識であり、それは観測者と物とを結ぶ主観線と言える
③3次元空間は、見えの世界では2次元の平面として見えている
④意識の位置は無限遠点で、そこは空間の反転が起きている…

①は、意識する意識は無意識側の事で、呼吸を起こしている意識のイメージで良いと思います。
反対に意識される意識とは、認識している意識の事だと思います。

②は、主観線と客観線の違いを理解する…で良さそうですね。

③は、ビックリ話のようですが、実際に物を見ると、そのようになっている…としか言えませんね。サイコロの1の面しか見えない状態が正にそうなっていますので、これはホラー体験と言えます。

④は呼吸をイメージすると、無限遠点の位置が身近に感じるような気がしますね。

という事で、今回のまとめは、サイト主の漫画や妄想的な考察話が多くなりすみません…ですが、これも何かのヒントに引っかかれば幸いです。

次回のヌースクールでは「位置の交換」の話題になるようで、ここで背面の意識の位置が目の前へ反転するとの事。

という事で、次回も楽しみですね!!