編集

ヌーソロジー漫画 ゆるっとぬーそろじー#24「内と外の行き交うは旅人ナリ」

2024/05/14
ヌーソロジー漫画 ゆるっとぬーそろじー#24「内と外の行き交うは旅人ナリ」
ヌーソロジー漫画 ゆるっとぬーそろじー#24「内と外の行き交うは旅人ナリ」

ヌーソロジーでは人間の外面と内面が重要なポイントになっています。

外面については、こちらの記事の中で少し話題にしています。


またヌーソロジーでは空間に表と裏があると考えます。これは平面の紙の表と裏があるように、空間もそうなっていると考えるようです。

そして紙と同じで、人間が見える空間を「外面(がいめん)」と呼び、これは人間が見えている世界で知覚の世界。つまり人間が物を見る方向は人間の外面に当たります。 それとは逆の方向が内面で、人間が見られる意識の方向性や、自分にとっての他者の視線が人間の内面となります。

多くの人は「外面」の言葉を聞くと「外見」のようなイメージが浮かんで、人の容姿とか、見た目を思い浮かべると思いますが、ヌーソロジーで扱う人間の外面とは、人間が見る視線そのもの空間だとか、見る方向に見えているそのものを表すようです。

下記はヌーソロジーサロンの質問大会でサイト主が送った質問状です。

こんばんは、いつもありがとうございます。
明日の「スピナーズのための大質問大会」の質問についてです。
当日に書き込みが出来る状況か分からないので、こちらに書かせて頂きました。
(明日のライブでの回答が難しいようなら、後日にでも、こちらのやり取りでの回答にてよろしくお願いします。)

質問内容は「外面と内面です」
・外面は自分が見ている方向の面(視野)
・内面は他者に見られている時の、自分の後ろの方向の面(自分を見ている他者の視野)

上記は今の理解での認識ですが、この場合の内面は、外面を見た(向いた)時に出て来る、自分の考えや感想、思いなども含まれますか?

と言うのも、外面に対する自分の反応が、自分の心の内側や、頭で考えている事だとすると、どちらも自分には見えないので内面にあたるのでは?と思いました。
純粋に自分が見た感想、身体の無意識の反応(反射的なもの、危険物をよけるとか)、心の動き、も内面に含まれるのかな?とも。

例えば、
Ψ3、4の場合は、1このモノを見た時が外面、1このモノを(外面側)を見た感想が内面と言う考え方でよろしいでしょうか?
Ψ5、6の場合は、他者が居たり、複数のモノのある空間を見た時の方向が外面で、その空間に自分が居る時の感想(考えている事や思っている事など)が内面かな?と。
Ψ7、8が複数人の場合にあたるのかと?

もう一つは、Ψ9、10で思形と感性になりますが、人間の心の内側の動き(考えや感想)がΨ10に当たるとするなら、Ψ4、6、8に感性が入り込んでいる(交差している?)と見た方がスムーズなのでしょうか?

それとも、そもそも人間の心の動きや考え、感想などは内面には当たらないのでしょうか?

質問は以上です。長くなりすみません。

質問の回答はサロン内で公開されておりますので、ご覧ください。


改めて質問の内容を読み返せば、外面と内面の事をあまり掴めていない事が良く分かりますね。この時のサイト主は人間の外面と内面を、面的な対象物として考えているところが垣間見えます。
どちらも外面と内面で「面」と付きますが、これは3次元的な空間を捉える視線の方向の違いです。


因みにですが、「見るそのもの」の言葉に言い表せない「ありのまま」が人間の外面。
そして見える世界の中から「対象物が有る」として、対象物を見ている時の、対象から自分に向かう空間が人間の内面です。

それとサイト主が勘違いしているのが、奇数の外面で偶数が内面で統一させたイメージです。
観察子の構造が進むと、Ψ9思形と、Ψ10感性で人間の外面と内面の向きが数字と逆になります。


この辺りも要注意ですね。

端的に言うと人間の外面は、見える「ありのままの風景や像」で、外面で感じている事を言葉で言い表したり、考えたりした時が人間の内面のイメージです。
「りんご」と聞いて(これは人間の内面)、りんごのイメージが浮かぶ(これは人間の外面)のは、空間が反転しているのだと、覚えておくのも良いと思います。

この事を踏まえると、自ら何かの事を起こす時は外面が先に来て、後に内面が続く…と考えて良いと思います。

そして人間の内面は、見られている側の意識とか自分に向かってくる空間の事ですから、他者の視線と同じ向きであるとみなす事が出来ます。
という事は人間の内面を先に考えて、それを自分の判断基準や価値観であると置き換えると、その時点で他者の影響が強いと考えて良いかも知れません。

それでも人間は生きていれば他者と関わるのが当たり前ですから、人間の外面と内面の違いを知って、両者を行ったり来たりするのが、人間としては自然な感じもします。