ヌーソロジーでは人間の外面と内面が重要なポイントになっています。
外面については、こちらの記事の中で少し話題にしています。
またヌーソロジーでは空間に表と裏があると考えます。これは平面の紙の表と裏があるように、空間もそうなっていると考えるようです。
そして紙と同じで、人間が見える空間を「外面(がいめん)」と呼び、これは人間が見えている世界で知覚の世界。つまり人間が物を見る方向は人間の外面に当たります。 それとは逆の方向が内面で、人間が見られる意識の方向性や、自分にとっての他者の視線が人間の内面となります。
多くの人は「外面」の言葉を聞くと「外見」のようなイメージが浮かんで、人の容姿とか、見た目を思い浮かべると思いますが、ヌーソロジーで扱う人間の外面とは、人間が見る視線そのもの空間だとか、見る方向に見えているそのものを表すようです。
下記はヌーソロジーサロンの質問大会でサイト主が送った質問状です。
こんばんは、いつもありがとうございます。
明日の「スピナーズのための大質問大会」の質問についてです。
当日に書き込みが出来る状況か分からないので、こちらに書かせて頂きました。
(明日のライブでの回答が難しいようなら、後日にでも、こちらのやり取りでの回答にてよろしくお願いします。)
質問内容は「外面と内面です」
・外面は自分が見ている方向の面(視野)
・内面は他者に見られている時の、自分の後ろの方向の面(自分を見ている他者の視野)
上記は今の理解での認識ですが、この場合の内面は、外面を見た(向いた)時に出て来る、自分の考えや感想、思いなども含まれますか?
と言うのも、外面に対する自分の反応が、自分の心の内側や、頭で考えている事だとすると、どちらも自分には見えないので内面にあたるのでは?と思いました。
純粋に自分が見た感想、身体の無意識の反応(反射的なもの、危険物をよけるとか)、心の動き、も内面に含まれるのかな?とも。
例えば、
Ψ3、4の場合は、1このモノを見た時が外面、1このモノを(外面側)を見た感想が内面と言う考え方でよろしいでしょうか?
Ψ5、6の場合は、他者が居たり、複数のモノのある空間を見た時の方向が外面で、その空間に自分が居る時の感想(考えている事や思っている事など)が内面かな?と。
Ψ7、8が複数人の場合にあたるのかと?
もう一つは、Ψ9、10で思形と感性になりますが、人間の心の内側の動き(考えや感想)がΨ10に当たるとするなら、Ψ4、6、8に感性が入り込んでいる(交差している?)と見た方がスムーズなのでしょうか?
それとも、そもそも人間の心の動きや考え、感想などは内面には当たらないのでしょうか?
質問は以上です。長くなりすみません。
明日の「スピナーズのための大質問大会」の質問についてです。
当日に書き込みが出来る状況か分からないので、こちらに書かせて頂きました。
(明日のライブでの回答が難しいようなら、後日にでも、こちらのやり取りでの回答にてよろしくお願いします。)
質問内容は「外面と内面です」
・外面は自分が見ている方向の面(視野)
・内面は他者に見られている時の、自分の後ろの方向の面(自分を見ている他者の視野)
上記は今の理解での認識ですが、この場合の内面は、外面を見た(向いた)時に出て来る、自分の考えや感想、思いなども含まれますか?
と言うのも、外面に対する自分の反応が、自分の心の内側や、頭で考えている事だとすると、どちらも自分には見えないので内面にあたるのでは?と思いました。
純粋に自分が見た感想、身体の無意識の反応(反射的なもの、危険物をよけるとか)、心の動き、も内面に含まれるのかな?とも。
例えば、
Ψ3、4の場合は、1このモノを見た時が外面、1このモノを(外面側)を見た感想が内面と言う考え方でよろしいでしょうか?
Ψ5、6の場合は、他者が居たり、複数のモノのある空間を見た時の方向が外面で、その空間に自分が居る時の感想(考えている事や思っている事など)が内面かな?と。
Ψ7、8が複数人の場合にあたるのかと?
もう一つは、Ψ9、10で思形と感性になりますが、人間の心の内側の動き(考えや感想)がΨ10に当たるとするなら、Ψ4、6、8に感性が入り込んでいる(交差している?)と見た方がスムーズなのでしょうか?
それとも、そもそも人間の心の動きや考え、感想などは内面には当たらないのでしょうか?
質問は以上です。長くなりすみません。
質問の回答はサロン内で公開されておりますので、ご覧ください。
改めて質問の内容を読み返せば、外面と内面の事をあまり掴めていない事が良く分かりますね。この時のサイト主は人間の外面と内面を、面的な対象物として考えているところが垣間見えます。
どちらも外面と内面で「面」と付きますが、これは3次元的な空間を捉える視線の方向の違いです。
因みにですが、「見るそのもの」の言葉に言い表せない「ありのまま」が人間の外面。
そして見える世界の中から「対象物が有る」として、対象物を見ている時の、対象から自分に向かう空間が人間の内面です。
それとサイト主が勘違いしているのが、奇数の外面で偶数が内面で統一させたイメージです。
観察子の構造が進むと、Ψ9思形と、Ψ10感性で人間の外面と内面の向きが数字と逆になります。
NCの構成がしっかりと根付いてきたら、下に示したようなケイブコンパスの図式の意味が単なる平面上のグルグルではなくて、自身の無意識の中での反復回路だということが手に取るように分かってきます。 pic.twitter.com/Fmndi0IHBv
— 半田広宣 (@kohsen) January 29, 2022
この辺りも要注意ですね。
端的に言うと人間の外面は、見える「ありのままの風景や像」で、外面で感じている事を言葉で言い表したり、考えたりした時が人間の内面のイメージです。
「りんご」と聞いて(これは人間の内面)、りんごのイメージが浮かぶ(これは人間の外面)のは、空間が反転しているのだと、覚えておくのも良いと思います。
この事を踏まえると、自ら何かの事を起こす時は外面が先に来て、後に内面が続く…と考えて良いと思います。
そして人間の内面は、見られている側の意識とか自分に向かってくる空間の事ですから、他者の視線と同じ向きであるとみなす事が出来ます。
という事は人間の内面を先に考えて、それを自分の判断基準や価値観であると置き換えると、その時点で他者の影響が強いと考えて良いかも知れません。
それでも人間は生きていれば他者と関わるのが当たり前ですから、人間の外面と内面の違いを知って、両者を行ったり来たりするのが、人間としては自然な感じもします。
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