ヌーソロジーでは「外面」が重要視されているようです。
端的に言うと、ヌーソロジーの外面とは人間の外面(がいめん)の事で、外見やソトヅラ(外面)の事ではありません。
上記の外見やソトヅラは、人間の内面の視線にあたります。要するに自分では見る事の出来ない「見え」の世界の事なんだと思います。
特に自分の「目玉」を見る事は至難の業…というか、普通の人間なら絶対に見る事は出来ません的に言われております。それもそうで、道具があって何かに映したとしても、それは既に自分の目玉自身では無いですからね。
さて。
自分の見た目や容姿は人間の内面の世界だと言いますが、端的に見た目が気になるとか、人の目が気になるのも普通の事です。
けれどそこばかり気にするのは自分軸じゃないですよとか、自分の価値観を忘れていませんか?みたいな話にも通じるかと思います。
とは言え、ですよ。
端的に内面が悪いとか良くないとかそう言う話では無さそうです。
その辺りをヌーソロジーの記事から読んでみましょう。
参照元はコチラです。
この記事では「元止揚」(げんしよう)の話に触れらているようです。
「止揚」には、もともと「二つの対立する方向の力を統合する」という意味がある。だから「人間の元止揚」という表現には、「人間の意識活動の元となるために対立しあう精神の統合化として生まれてきたもの」といった意味合いが含まれている。
人間の意識において、この元止揚は物質として出現しているものすべてに当たると考えていい。つまり、物質世界とは、人間の意識を活動させるために高次の精神の対化が止揚されて生み出されているものだということだ。それが人間の存在の母胎(元)となり、そこから人間の意識活動が開始されていると、とりあえずは考えよう。
その意味で、高次の精神の全体側から見るなら、人間の意識活動とは自分たちの活動の最先端に位置するものであり、そのような場所をヌーソロジーでは「総体の内面」の方向と呼んでいる。「内面」とは進化の方向を指す。一方、人間の意識に見える物質世界は高次の精神全体からは「総体の外面」に当たる。
これは、総体の外面は、真実の意識(精神の全体性が持つ意識)にとっては自分たちの精神の履歴のようなものに見えていることを意味している。
精神進化の最先端は、物質として人間の肉体に集約されているので、総体の外面に見える精神の総体性が他者身体。総体の内面に方向づけられているのが自己身体ということになる。
自己身体のみが奥行き(持続)を持つように現象化しているのも、そのような理由によると考えるといい。また、総体の精神は人間の純粋持続の中にその姿を現していると言ってもいい。
えっとですね。難しいですね。とりあえず、本文を少しずつ紐解いてみましょうか。
まずは「元止揚」からです。
これは『人間の意識活動の元となるために』とありますから、なるほどです。人間の為に「人間の元みたいな何者か」がいらっしゃるというか、既に居ますのイメージですね。
次に『対立しあう精神の統合化として生まれてきたもの』とありますから、人間の元になるぞ的な何者かは一つでは無く、何か両極的な存在が合わさって、一つになってやったぞ的なイメージにもなります。
こうして人間の元になるぞ的な両極の何者かが合致して、「人間の元止揚」となったわけですが、それは人間からすれば「物質」に見えるものになっているとの事。
そうなると人間は「元止揚」から生み出されたはずですが、人間が対象としている物質はそのまま「元止揚」になる訳ですから、人間がモノを見るとは、自分の元の姿とか産みの親を見ています的なイメージで良いのでしょうか。
そしてその「元止揚」的には、生み出した人間は自らの活動の最先端の場所になっているとか。…まぁあれですね。産みの親からすれば、子供は未来で希望ですからね。きっと何か託しているもの(託されたもの)が有るのでしょう。
そしてその活動が行われている場をヌーソロジーでは「総体の内面」と呼ぶそうです。
言い換えると「元止揚」から人間の活動は見えないのでしょうか?
だとしたら面白い話ですね。
続けて『「内面」とは進化の方向を指す。一方、人間の意識に見える物質世界は高次の精神全体からは「総体の外面」に当たる。』とありますね。
言葉通りに受け取ると、進化の面から言えば、内面も決して悪いものでは無さそうです。
そう言えば先日からヌーソロジーのサロンでは「アニマンダラ IN ヌース」のレクチャーが始まりました。
アニマンダラさん的には「負け組進化論」というのがあって、これは「人間を生み出す内骨格動物(脊椎動物)の進化の道筋」の事を指すようですが、この内骨格動物がいわゆる
(*2024/7/20訂正:本日のレクチャーで感性と思形の説明がありました。内骨格的進化は外面意識になるようです)
こうした「負け組」的な「たまたま勝ち残った組」が、実は内面意識の精神だとしたら面白いですね。
(*2024/7/20加筆:進化は等化の意識で、外面意識の精神で、内部と外部環境の反転のイメージでした。サイト主の理解が浅く、申し訳ないです)
レクチャー自体は始まったばかりなので、これからは内面の事も詳しく考える事が出来るかも知れません。
という事で、「内面先手必勝!」…は人間的には良くないと思いますが、人間は外面を先手にしつつ、内面意識の役割を思い出して、ボチボチと歩んでいけたら良いのでは無いかな?と思います。
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