先日に続いて量子世界の漫画です。
そして今回も薄い内容の漫画になっています。訳がわからない迷走状態のまま描いた漫画ですね。
因みにでは無いですが、二重スリットの実験はヌーソロジーサロンで解説動画があります。
一般で公開されている動画だとPR動画がありました。
ヌーソロジーのサイトにも文章が載っていますので、こちらもどうぞ。
それとサイト主の悩みの遍歴を見かねた半田さんが、ヒントを言って下さったので、こちらも参考になれば…。
⚫︎粒子は観測されるものではなく、観測サセテイルモノ
— 半田広宣 (@kohsen) March 20, 2024
いろいろと考えられていますね。少しヒントを付け加えておきますね。下図で赤で示しておきますので、参考にされて下さい。… https://t.co/n3R8Fw4HIS pic.twitter.com/fwFPp8rBiP
それでは…という事では無いのですが、サイト主がヌーソロジー的量子論を語る事は出来ませんので、漫画の一番最後に描いたキャラクターから話を広げてみましょうか。
完全にヌーソロジー話から離れますので、どうでも良いやの人と、話の展開の後に、とある漫画作品について触れますので、読んだ事のない漫画のネタバレは嫌だの人も、ここでブラウザをバックするかトップページに戻って下さいね。
さて。
最終コマに描いたキャラクターですが、これはゲーム「悪魔城ドラキュラ」シリーズに出て来るアルカードです。名前の由来は恐らくですが、ドラキュラ(Dracula)の逆読みのアルカード(Alucard)では無いかと思います。
彼はドラキュラ伯爵のご子息でお母様は人間です。
「パワーオブミスト」とは、アルカードの持つ能力の一つで、体を霧状に変化させる事が出来ます。ゲームの中では鉄の格子を抜けるのに使ったかな?そんな感じでした。
二重スリット実験の電子がスリットを抜ける時に、粒が分かれるとか、多元的に粒が増えると言うより、空間の中に薄く溶け込むようなイメージを持ったんですね。
電子は「波でも粒でもない」と言った解釈もあるようですが、ヌーソロジー的にはまた違う解釈でしたね。
さて。ゲームの話は事くらいにしておきます。なんせ古いゲームですしね。
続けて書いていくのは漫画の話です。
こちらもゲームと同じ名前を持った吸血鬼が主人公の作品です。タイトルは「HELLSING(ヘルシング)」で、こちらはゲームと違って主人公はドラキュラ側です。
ヘルシングは、かなり荒ぶったシーンが多いので、心が丈夫な人が読む漫画だと思います。なので心の弱い人にはお勧めしません。
さて。
漫画の中にアルカードと敵対するキャラクターが出てきます。
アルカードはドラキュラで、かなり強い主人公なのですが、そんな彼に大きなダメージを与えたのが「シュレディンガー准尉」です。
因みにシュレディンガー准尉は、猫耳の可愛らしい吸血鬼です。
彼は名前の通りシュレディンガーの猫がモチーフになっているようで、不思議な存在として描かれており、セリフの中に能力を示唆するものが描かれています。
そのセリフが「僕はどこにでもいるし、どこにもいない」です。
そしてこのセリフ通りに、シュレディンガー准尉はアルカードにダメージを与えます。
物語の終盤は、もはや多国間の戦争(宗教も絡む)になった末に、多くの死者が出ますが、亡くなった人間の血の海をアルカードは取り込みます。
その際にシュレディンガー准尉は自分の身を血の海に投げ、その他の死者の血液と共にアルカードに取り込まれます。
その結果、アルカードはシュレディンガー准尉の特性も一緒に取り込んでしまいます。
こうしてアルカードは、取り込んだ多くの命の中から、「自身がどこにもいない」の状態に陥ってしまいます。
そして最強の吸血鬼であるアルカードは、遂に彼岸を見る(コミックでは夕焼け美しいシーンでした)事になりました。
恐らくですが、このアルカードが体験した「どこにもいない」は、自我の崩壊に近いと思います。取り込んだ多くの命の中から、自分の位置が見出せなくなったんですね。
少しヌーソロジーに話を戻しますが、ヌーソロジーの中で「自我極」といった単語が出てきます。
「位置の中和」側を自我極とするなら、「位置の等化」側は対象極とも呼べるのだけど、反転認識においては対象極側が精神となり、自我極側が付帯質となる。この時点で、人間が物質と精神と呼んでいた区別は消滅しちゃうわけだね(下図左)。
自我極の話が出てくるのは、観察子構造で言うと「Ψ5・Ψ6」だったかな。
自我のなりたちは、他者に見られる事を意識する事から出来上がるイメージのように考えています。
漫画の中のアルカードが自己と他者が曖昧になった上での自我の崩壊なら、位置の中和であるΨ6の状態に完全に陥ったのかな?とも思います。
自我についてですが、サイト主の個人的な感覚では、「自我が無いとモノを見る事も出来ないだろう派」なので、自我が有るのは大切な事だと認識しています。
つまり、自我が無いと意識の反転も出来ないよって話です。
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