ヌーソロジーでは奥行きから量子世界に飛び込みます。
いずれにしろ、ヌーソロジーの思考から見ると、素粒子世界というのは、ドゴン族のいう〈先導記号〉のごときものであるということですね。わたしたちの世界に対する認識を可能にさせている、哲学の言葉でいうなら〈超越論的構成〉を持った幾何学構造体です。
上記はヌーソロジーのサイトの引用ですが、素粒子側が私達に認識させている側なんですね。
この漫画を描いた時はサッパリ意味が分からないまま描いたのですが、段々と理解が進んで「させている側」の気持ちが見えてきました。
後は、漫画の中にある波の云々ですが、引用の続きにその事が書いてありました。
計算によって素粒子の運動量やエネルギーが導き出されたとしても、そこに、つねにψ(x,t)がくっついていて、複素平面上の回転として表される何かがグルグルと回っているわけです。このグルグルは、現在、物理学では「確率の変動」として解釈されています。たとえ、運動量pが導き出されたとしても、それは確率的にしか把握されない、というわけです。
私は量子力学にある確立の事を少し誤解していたのですが、運動量を導いたとしても、グルグルしとるよ的な感じなんですね。
また確立の変動を並行宇宙的に捉えるのは、ヌーソロジー的には少し違うようです。
パラレルワールドの事は、こちらの方がより詳しく載っています。
この自己が、他者が見ているだろうと想像する世界がパラレルワールドの正体だと、ヌーソロジーでは考えるのです。
この科学におけるパラレルワールドの考え方は、虚数とは何かが分かっていないため、自己と他者を全く同じものとして考えているために生じているとヌーソロジーでは考えます。
ヌーソロジーでは、他のスピリチュアルの思想とは違って、自己他者の関係が根底と言うか、基礎中の基礎としてあるような気がします。
私達が自己と他者の見えている世界の違いに気付けないのは、「私達は同じ人間なのだ」として、自分も他者も一括りにして、同じ空間の中に存在している「人間」として扱っているからですね。
「♪世界に一つだけ~の花~」…とカラオケで歌うと思いますが、ヌーソロジー的に言えば、その歌よりも某男性有名人の「俺か、俺以外か」の方が良いかも知れません。「自己以外は全員他者だ~」のような…。
それでもヌーソロジーの道の中ではもっと素敵な表現と出会います。
「君と君の君」
どうですか?より主観的で深みがありますよね。
この時の河村悟さんのお話は、ヌーソロジーサロンの中で全編公開されていました。何度か拝聴しましたが、じんわりと来るお話でしたね。
(今回はあまり補足的な事を書くような漫画ではないので、引用ばかりになってしまいすみません)
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