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ヌーソロジーの観察子とはそもそも何なのだ?

2024/05/14
今回はヌーソロジーを考えるです。
テーマは「ヌーソロジーの観察子ってなぁに?」です。

ゆるっとぬーそろじー 自己と他者のイメージ画像

これは以前にヌーソロジーサロンで質問をした事があるので、こちらでも紹介させて頂きます。
内容は半田さんの回答より一部抜粋となりますのであしからず。

私からの質問はこうです。

さんがつ)
2013人類が神を見る日の書籍内p168に「タカヒマラは、次元観察子と呼ばれる全部で12の階段を持つ高次元の空間構造体から構成されており…」とあります。
改めてですが、観察子とは「空間構造」なのでしょうか?
と言うのも、観察子が「観察の位置」なのか、どうか、こんがらがってしまった次第です。

正にヌーソロジービギナー的な質問ですね。
書籍には「空間構造」だと書いていますが、この空間はそもそも何なのか?を問うような質問です。そして回答がこちら。

半田さんの回答)
はい。
空間と言っても持続"空間"の構造です。
その意味で精神構造、または無意識構造とも言えます。

つまりですね、観察子は精神の構造で、人間には意識が出来ない無意識の構造だという事です。

だから私の意識が見ている場所とか位置というより、もっと色々なものを含み持った、見るの発生場所と言いますか、観察の精神そのものの場所が空間構造のようになっている…といったイメージでしょうか。

だから、ここから見えるとか、こちらからは見えないといった、自覚している意識とはまた別の意識で、これを考えるには精神のような、よく分からない抽象的なもので捉えると逆に少し掴みやすくなります。

例えばよく分からない精神構造を無意識と置き換えて考えてみましょう。

そうなると…。
自己と他者の間にリンゴがあるとした場合。
リンゴを見ている私の身体の位置にあるのは、リンゴを見ているとか、リンゴの質感を感じている意識側だとします。
そしてそれらの感じている意識では無い無意識側はどこにあるか…?

ここから考えると、精神構造や無意識は身体側であっても無くても、身体側でもリンゴ側にあってもどちらでも良い事になります。
言い換えると、精神の位置は認識と同じ位置でも、違う場所でも別に問題はなさそうですよね?
だって、人間の無意識がどこにあるのかなんて、今の人間にはさっぱり分からない状態ですからね。

そして私たちは精神の無意識の活動(のようなもの)を通して、「私はりんごを見ている」という意識を持つのだと考えると。

認識は身体の位置にあるようだけれど、認識させている無意識はどこにあるのか???

この無意識をヌーソロジーでは物質の元になる素粒子にみているようですね。
そんな感じで無意識が精神性で、意識を認識に置き換えれば、観察子構造を思考するのに、整理がつきやすいような気がします。

観察子を思考するのに他に良い方法がありましたら、是非コメントの方で教えて下さい。