前回のまとめと感想は、コチラの記事で確認できます。
ヌースクール12回目は球精神の巻・3回目で、最終回という事もあり、終盤はかなり盛り上がりましたね。
…という事で、今回の本編のライブ動画はこちらです。
テーマは「永遠の汝と我」
それでは早速内容を追いかけてみましょう!
次元の交替化
オコツト情報によると、我々人類の精神的な歴史には「次元の交替化」という概念があるそうで、交替化によるサイクルは、1週が26,000年の四分割周期になっているとの事。実は西暦2013年から次元の交替化でいう「覚醒期」と呼ばれる時期に入っているらしく、既に変換人の時代になっているとの事。
つまり2025年現在の人間は、変換人へ移行している真っ只中…と言う事ですね。
このような次元の仕組みは、少々ぶっ飛んだお話なので、個人的には全くピンと来ないのですが、オコツト的にはそういうものらしいです。
また交替化のサイクルを別の視点で見ると、我々…つまり現代人の次元というか、人間は、生まれて6500年ほどしか経っていないそうです。
かなり信じ難い話ですが、オコツト曰く、6500年前より過去の時代は存在しないそうです。
つまり、科学者の言う、宇宙の始まりがビックバンで、それは138億年前の出来事だとする宇宙の創生の物語は、オコツトに言わせると「人間側の解釈」…って事なんですね。
オコツトからすれば、そんな事は起きてないよ?…という感じなのでしょう。
何とも不思議な感覚と言うか、世界観というか…どうやら人間の描く歴史観とは、かなりのズレがあるようで、辻褄が合わない話になっちゃいますね。
一般的に、人類の出現は約20万年前と言われていますから、人間の誕生の歴史からみても、次元の交替化に見る年数と随分と違います。
さて。
ここで、オコツト情報と一般的な科学的解釈の違いをどのように捉えるべきか…?
一般的に、人類の出現は約20万年前と言われていますから、人間の誕生の歴史からみても、次元の交替化に見る年数と随分と違います。
さて。
ここで、オコツト情報と一般的な科学的解釈の違いをどのように捉えるべきか…?
単純に「ヘェ〜ソウナンダ〜」で、右から左にスルーしてもいいのですが、サイト主は少し考えてみる事にしました。
かなり個人的な解釈ですが、アニマンダラさんの言う、260波紋時間のお話に繋げると、少しヒントが見えてくるような気がしました。
つまり「〇〇に見える」や「〇〇に見えている」事自体がポイントになっているんですね。
学校で習うお話は、大昔の地球には恐竜が暮らしていましたが、絶滅してしまったので、現在は化石だけが残っています。…これが科学的な事実として習うお話です。
かなり個人的な解釈ですが、アニマンダラさんの言う、260波紋時間のお話に繋げると、少しヒントが見えてくるような気がしました。
つまり「〇〇に見える」や「〇〇に見えている」事自体がポイントになっているんですね。
学校で習うお話は、大昔の地球には恐竜が暮らしていましたが、絶滅してしまったので、現在は化石だけが残っています。…これが科学的な事実として習うお話です。
このように習うので全く不思議にも思わない話ですが、このような事柄を踏まえても、踏まえなくとも、現在の事実のみを拾えば、私達の目の前に存在するのは、恐竜の化石です。
つまり、生きている恐竜の姿を現代人が見る事は叶わない…って事です。
ここで、先ほど持ち出した「見えている事自体がポイント」方式を持ち出すと、「〇〇が恐竜の化石に見えている」や「恐竜の化石に見える〇〇が存在している」として考える事が出来ます。
もちろん日本民族とは、現代の日本人が…と言うより、もっと精神的な存在だったり、霊性的なイメージだったりすると思いますから、純粋に日本人とユダヤ人では無いと思います。
ここで統心さんによる、次元の交替化で、起きてくるであろう事柄の紹介がありましたので、書き出しておきます。
因みにヌーソロジー的(オコツト情報的?)なスケジュールでは、次元の交替化は2013年から2039年までの間に、工程がほぼ終了するようです。意外と短いですね(笑)
2039年までだと、今から約14年ほどしかありませんが、この間に人類全体の認識が変わるのでしょうか?
例えるなら、結末からストーリーが練られるイメージを持つと、逆回転の意味も少しわかるような気がしますね。
サイト主的に言うと、(ゆるぬーの拙い漫画話で恐縮ですが)4コマ漫画を書く時は、話の流れとか、オチは既に決まっている事が多いです。
つまり、何を言いたいか?や、何を結論にしているか?は予め決まってるんですね。
そこから話を4コマで収まるように、流れやセリフを調整する…みたいな作業をします。
ここから(元止揚)から出てきたものが二つあり、一方は言語や概念の思形(Ψ9)で、もう片方は、知覚やイメージの感性(Ψ10)になっているとの事。
ボロメオの輪を用いると、「汝と我」は真ん中上部の現実界の世界観で、我とそれは、象徴界や想像界においての関係性になっているとの事。
現実界は「あなたとか、わたし」以前の「君と、君の君」の世界観なので、「わたし」が不在の世界観であると言えそうです。
今回も怒涛の展開(?)だったので、色々と頭の中を整理する必要があったかと思います。
今回のまとめは、内容をまとめるより、最後の最後に紹介された魚の日の交信部分を残した方が良さそうなので、ここに転載しておきます。
魚の日と言えば、私の好きな動画をご紹介しますので、よければこちらもご覧ください。
河村悟さんの静かで柔らかな声と共に紡がれる言葉がとても心地良い動画になっています。
一般公開されているものだと、こちらの記事内に動画の一部が載っていますので、メンバー外の方はこちらでご覧ください。
因みに…ですが、魚の日についての半田さんの見解を伺った事がありますので、その時の回答(メルマガに記載されました)URLを載せておきますね。
という事で、精神球のまとめは以上になりますが、ヌースクールの最終回の総括的なまとめを言葉で残すより、以前に書いた絵がピッタリくるような気がしますので、画像を紹介して終わりにしたいと思います。
タイトルは、
上段:シャンバラの彼方ニテ
下段:無ジン島
です。
それでは、また!
つまり、生きている恐竜の姿を現代人が見る事は叶わない…って事です。
ここで、先ほど持ち出した「見えている事自体がポイント」方式を持ち出すと、「〇〇が恐竜の化石に見えている」や「恐竜の化石に見える〇〇が存在している」として考える事が出来ます。
つまり、「〇〇に見えるものの正体とは何か?」を探る方が、ヌーソロジーとしては健全なのかも知れません。
さて。
さて。
統心さん曰く、次元の交替化とは、作られた世界と、作り出す側の世界のひっくり返りに相当するようです。
交替化によるひっくり返りは、神と人間の関係にも当てはまるそうですが、自己と他者の関係にも当てはまります。
交替化によるひっくり返りは、神と人間の関係にも当てはまるそうですが、自己と他者の関係にも当てはまります。
つまり、お互いがひっくり返る…?と??
と言う事で、自己と他者がひっくり返る事を考えてみると、それは自己と他者、双方向の関係性を統合するようなイメージに当たるそうです。
と言う事で、自己と他者がひっくり返る事を考えてみると、それは自己と他者、双方向の関係性を統合するようなイメージに当たるそうです。
スピリチュアルインフルエンサーの方々(?)も、統合とかそのようなニュアンスの事をおっしゃいますが、統合する前に、双方向の違いを認識しないと、どうにもならないような気がします。
なのでこれからの人類のテーマは「自己他者の意識の違いを認識する事」と言えるかも知れません。
ヌーソロジー用語で言えば「双方の差」による「差異」に当たるのかな?
ヌーソロジー用語は難しいですね…。
さて、本編に戻ると、ユダヤ民族(の彼ら)は、今の交替化が行われた際に出て来た人類にあたるとの解説がありました。
さて、本編に戻ると、ユダヤ民族(の彼ら)は、今の交替化が行われた際に出て来た人類にあたるとの解説がありました。
この話を元にすると、現代人の元祖とか、ひな形のようなもの=ユダヤ民族と言えそうですね。
オコツトの表現では、現人類の核質だそうです。
そしてユダヤ民族の精神の軌跡のようなものが、聖書に書かれている物語だったり、一神教的な世界観そのものの核になったりしているとの事。
つまりユダヤ民族の精神は、現代の世の中を作り出している素…みたいなイメージなんでしょうね。
ここで、次元の交替化そのものを考えると、交替があった訳ですから、入れ変わりがあったはずです。
本編では何と何が入れ替わったかの言及は無かったように思いますが、最も新しい人類がユダヤ民族で、古い民族が日本民族だった(ハズ)なので、日本民族の元になっている精神がユダヤ民族の精神と交替したのかも知れません。
オコツトの表現では、現人類の核質だそうです。
そしてユダヤ民族の精神の軌跡のようなものが、聖書に書かれている物語だったり、一神教的な世界観そのものの核になったりしているとの事。
つまりユダヤ民族の精神は、現代の世の中を作り出している素…みたいなイメージなんでしょうね。
ここで、次元の交替化そのものを考えると、交替があった訳ですから、入れ変わりがあったはずです。
本編では何と何が入れ替わったかの言及は無かったように思いますが、最も新しい人類がユダヤ民族で、古い民族が日本民族だった(ハズ)なので、日本民族の元になっている精神がユダヤ民族の精神と交替したのかも知れません。
もちろん日本民族とは、現代の日本人が…と言うより、もっと精神的な存在だったり、霊性的なイメージだったりすると思いますから、純粋に日本人とユダヤ人では無いと思います。
ここで統心さんによる、次元の交替化で、起きてくるであろう事柄の紹介がありましたので、書き出しておきます。
・物質文明6500年が終了し、2013念より霊性文明が始まる
・聖書の歴史6500年が終わる→終末預言、千年王国
・自己と他者の意識の場所が交代する→霊的合一する
・新しい「結び=産霊」が行われる
・終わりと始まりが出会う
・聖書の歴史6500年が終わる→終末預言、千年王国
・自己と他者の意識の場所が交代する→霊的合一する
・新しい「結び=産霊」が行われる
・終わりと始まりが出会う
因みにヌーソロジー的(オコツト情報的?)なスケジュールでは、次元の交替化は2013年から2039年までの間に、工程がほぼ終了するようです。意外と短いですね(笑)
2039年までだと、今から約14年ほどしかありませんが、この間に人類全体の認識が変わるのでしょうか?
個人的にはとても変わる姿を思い描けないのですが、昨今のAI技術の進歩を見れば、もしかすると一気に加速して、精神世界が当たり前の時代になるのかも知れませんね。
*次元の交替化のお話は、Φさんのブログでも詳しく解説されていましたので、こちらも参考になるかと思います。
本編で扱ったケイブユニバースについては、半田さんもポストで言及されていましたね。
ポストの図だとオリオンのイメージも載っていました。
さて。
ケイブユニバースから見えてくるのは、人間の目の前で創造側のNOOS(精神の力)と、受け取る側のNOS(付帯質の力)がぶつかっているようなイメージです。
これは、宇宙の始まりと、その終わりが目の前で結ばれている…とも言えますね。
ここで、人類が神を見る日・アドバンストエディション(P262)の紹介がありましたが、それによると、セーターを編み上げる行為の裏では、セーターの網目を解く事が行われているイメージになっているとの事。
…何というか、私達の認識する表の世界では、セーターが編み上がる様子に見えますが、裏ではまるで解体しているようなイメージで物事が進んでいるようなんです。
*次元の交替化のお話は、Φさんのブログでも詳しく解説されていましたので、こちらも参考になるかと思います。
本編で扱ったケイブユニバースについては、半田さんもポストで言及されていましたね。
ポストの図だとオリオンのイメージも載っていました。
人間の意識と、ケイブユニバースの位置関係を簡単に図式化するとおおよそ,下図のようなイメージだ。オリオンはこの「最小回路」と記した位置に息づいている。 pic.twitter.com/xgzpM2CzRh
— 半田広宣 (@kohsen) August 25, 2017
さて。
ケイブユニバースから見えてくるのは、人間の目の前で創造側のNOOS(精神の力)と、受け取る側のNOS(付帯質の力)がぶつかっているようなイメージです。
これは、宇宙の始まりと、その終わりが目の前で結ばれている…とも言えますね。
ここで、人類が神を見る日・アドバンストエディション(P262)の紹介がありましたが、それによると、セーターを編み上げる行為の裏では、セーターの網目を解く事が行われているイメージになっているとの事。
…何というか、私達の認識する表の世界では、セーターが編み上がる様子に見えますが、裏ではまるで解体しているようなイメージで物事が進んでいるようなんです。
かなりイメージし難い話の内容ですが、逆回転…これが反転イメージになっているのかもしれません。
セーターの話を元にすると、宇宙の始まりと同時に、裏の世界では既に人間が居る事になります。
裏の世界とは、創造側の世界(光源側とか、大元の仕組み側)にあたりますが、そこでは人間を構成する要素は後から作られ、一般的な進化の流れとは逆向きに進んでいるそうです。
つまり、表と裏は逆回転なので、表の私達は、裏の流れがひっくり返った状態で見えていて、これを進化として見ている…みたいな話のようです。
う~ん。
素直に咀嚼しにくい話ですが、上記の事柄を生成の流れとして考えると、作り出す側の流れは、既に物語として完結している感じに近いのかも知れません。
セーターの話を元にすると、宇宙の始まりと同時に、裏の世界では既に人間が居る事になります。
裏の世界とは、創造側の世界(光源側とか、大元の仕組み側)にあたりますが、そこでは人間を構成する要素は後から作られ、一般的な進化の流れとは逆向きに進んでいるそうです。
つまり、表と裏は逆回転なので、表の私達は、裏の流れがひっくり返った状態で見えていて、これを進化として見ている…みたいな話のようです。
う~ん。
素直に咀嚼しにくい話ですが、上記の事柄を生成の流れとして考えると、作り出す側の流れは、既に物語として完結している感じに近いのかも知れません。
例えるなら、結末からストーリーが練られるイメージを持つと、逆回転の意味も少しわかるような気がしますね。
サイト主的に言うと、(ゆるぬーの拙い漫画話で恐縮ですが)4コマ漫画を書く時は、話の流れとか、オチは既に決まっている事が多いです。
つまり、何を言いたいか?や、何を結論にしているか?は予め決まってるんですね。
そこから話を4コマで収まるように、流れやセリフを調整する…みたいな作業をします。
と言う事で裏の逆回転は、この過程と少し似ているような気がしました。
四コマ漫画の制作過程は、1つ1つを積み上げて4コマになると言うより、結論ありきの結果から、起承転結の流れ作る感じです。
四コマ漫画の制作過程は、1つ1つを積み上げて4コマになると言うより、結論ありきの結果から、起承転結の流れ作る感じです。
(とは言え、キャラクターのセリフ次第で内容が変わる事もあるし、作り手によって作業も違うので、一概にそうだとは言い難いのですが…)
生成の逆回転を踏まえると、科学的解釈の太陽系や地球の成り立ちや、生命が生まれた偶然性は、全く偶然じゃないって事になりますね。
生成の逆回転を踏まえると、科学的解釈の太陽系や地球の成り立ちや、生命が生まれた偶然性は、全く偶然じゃないって事になりますね。
言い換えると、それらは全て、創造側の張った伏線みたいな感じになっちゃいます。
さて、本編では、前回のヌースクールで扱ったモナドの話題に入りました。
モナロドジーを元にすると、1つ1つの単純な細胞が集まって複雑な生命体が作られる…は、ちょっと無理があるんですね。
さて、本編では、前回のヌースクールで扱ったモナドの話題に入りました。
モナロドジーを元にすると、1つ1つの単純な細胞が集まって複雑な生命体が作られる…は、ちょっと無理があるんですね。
前回の話を思い出すと、細胞の1つの中には既に全体が含まれているから、全体の一部になれる…みたいなニュアンスでしたかね?
このように考えると、逆回転の話もしっくり來るような気がしました。
ここから見えてくるのは、人間や物質の要素を分解した先に現れる素粒子はモナド的で、モナド的素粒子は、宇宙全体を含んでいるから、宇宙全体を構成する一部になれる…みたいな話になりますね。
う~ん…人間が最初に有る事と、モナド的素粒子の繋がりが見えて来たような…??
と言う事で、皆さんも色々と考えてみて下さいね。
もしも、宇宙全体が精神の対化で成り立っているとしたら、その最も適切な単位は、自己と他者である…と、考える事はそんなに難しい話ではないですね。
ここから精神球の Ψ7に見る精神の対化である自己他者(Ψ5とΨ*5)は、モノ側…つまりモノの中に居て、双方の精神に等化が起きていると考える事が出来ます。
言い換えると、自我同士(Ψ6、Ψ*6は物の外に位置する自我)の交流は、モノ側の世界に入る事は出来ないって事ですね。
一方のΨ8は、モナロドジーの話から、「一即多・多即一」の有機的ネットワークに見る事が出来るとの事。
ここから、Ψ7と、Ψ8の世界を知るには「永遠の汝と我」を知る事…という事で、いよいよ最終コーナーに入りました。
統心さんが取り上げた『永遠の汝と我』とは、マルチン・ブーバーの思想からひも解く事が出来ます。
マルティン・ブーバー - Wikipedia
ひとは世界に対して、二つの異なった態度がある…。
一つは、「我と汝」
もう一つは「我とそれ」
この時の「汝」とは、ヌーソロジーで言う「他者」とか「他者存在」の事だと思いました。
一方の「それ」とは、日常的な「物」に対する態度や、社会的に接する「〇〇さん」に対する態度のイメージではないでしょうか。
半田さんの解説によると、「我とそれ」は主体と客体などの対象化の関係で、「我と汝」は主体同士の相互関係との事。
ここでサイト主の個人的なイメージを持ち込むと、「相互」は「一方通行的」では無く「協力関係」のような雰囲気があるような気がします。
ここから見えてくるのは、人間や物質の要素を分解した先に現れる素粒子はモナド的で、モナド的素粒子は、宇宙全体を含んでいるから、宇宙全体を構成する一部になれる…みたいな話になりますね。
う~ん…人間が最初に有る事と、モナド的素粒子の繋がりが見えて来たような…??
と言う事で、皆さんも色々と考えてみて下さいね。
永遠の汝と我
もしも、宇宙全体が精神の対化で成り立っているとしたら、その最も適切な単位は、自己と他者である…と、考える事はそんなに難しい話ではないですね。
ここから精神球の Ψ7に見る精神の対化である自己他者(Ψ5とΨ*5)は、モノ側…つまりモノの中に居て、双方の精神に等化が起きていると考える事が出来ます。
言い換えると、自我同士(Ψ6、Ψ*6は物の外に位置する自我)の交流は、モノ側の世界に入る事は出来ないって事ですね。
一方のΨ8は、モナロドジーの話から、「一即多・多即一」の有機的ネットワークに見る事が出来るとの事。
ここから、Ψ7と、Ψ8の世界を知るには「永遠の汝と我」を知る事…という事で、いよいよ最終コーナーに入りました。
統心さんが取り上げた『永遠の汝と我』とは、マルチン・ブーバーの思想からひも解く事が出来ます。
マルティン・ブーバー - Wikipedia
ブーバーの思想は「対話の哲学」と位置づけられる。対話の哲学とは「我」と「汝」が語り合うことによって世界が拓けていくという、端的に言えばユダヤ教の教義を哲学的に洗練したものとされる。
ブーバーによれば科学的、実証的な経験や知識は「それ」というよそよそしい存在にしか過ぎず、「我」はいくら「それ」に関わったとしても、人間疎外的な関係から抜け出すことはできないという。
その「我-それ」関係に代わって真に大切なのは「我-汝」関係であり、世界の奥にある精神的存在と交わることだという。そして、精神的存在と交わるためには相手を対象として一方的に捉えるのではなく、相手と自分を関係性として捉えること、すなわち対話によってその「永遠のいぶき」を感じとることが不可欠だとする。
ひとは世界に対して、二つの異なった態度がある…。
一つは、「我と汝」
もう一つは「我とそれ」
この時の「汝」とは、ヌーソロジーで言う「他者」とか「他者存在」の事だと思いました。
一方の「それ」とは、日常的な「物」に対する態度や、社会的に接する「〇〇さん」に対する態度のイメージではないでしょうか。
半田さんの解説によると、「我とそれ」は主体と客体などの対象化の関係で、「我と汝」は主体同士の相互関係との事。
ここでサイト主の個人的なイメージを持ち込むと、「相互」は「一方通行的」では無く「協力関係」のような雰囲気があるような気がします。
なので、「我と汝」とは、お互いを無くしては、存在出来ない者同士なのでは?と、そんなイメージを描きました。
統心さん曰く、「我とそれ」は「経験の世界で」、「汝と我」は「今」であり「関係性の世界」との事。
また「汝」は人間以外にも、「神」や「自然」「動物」にもあたるとの事です。
言い換えると、自己や主体が向き合うものが「汝」という事ですね。
下記の図で言うと、Ψ5、Ψ*5同士が「我と汝」
Ψ6、Ψ*6同士が「我とそれ」にあたります。
続けて、本編ではボロメオの輪の話になりました。
半田さんのポストを追いかけている人ならこちらの図をご覧になった事があるかと思います。
この図にあるように、Ψ1~8の元止揚から次のΨ9と10は少し世界観が違うようですね。
統心さん曰く、元止揚は土台の空間構造で、モノ自体の世界との事。
統心さん曰く、「我とそれ」は「経験の世界で」、「汝と我」は「今」であり「関係性の世界」との事。
また「汝」は人間以外にも、「神」や「自然」「動物」にもあたるとの事です。
言い換えると、自己や主体が向き合うものが「汝」という事ですね。
下記の図で言うと、Ψ5、Ψ*5同士が「我と汝」
Ψ6、Ψ*6同士が「我とそれ」にあたります。
続けて、本編ではボロメオの輪の話になりました。
半田さんのポストを追いかけている人ならこちらの図をご覧になった事があるかと思います。
これ、ほぼ決定やね。ラカンは現実界は不可能と言っていたけど、ヌーソロジーはCFTの空間認識として入っていきます。存在そのものの世界です。これを見ると、ヌーソロジーになぜ女性が多いのかも分かる気がします。男の世界はまもなく終わりますよ。 pic.twitter.com/6YrgAIPb60
— 半田広宣 (@kohsen) November 22, 2024
この図にあるように、Ψ1~8の元止揚から次のΨ9と10は少し世界観が違うようですね。
統心さん曰く、元止揚は土台の空間構造で、モノ自体の世界との事。
ここから(元止揚)から出てきたものが二つあり、一方は言語や概念の思形(Ψ9)で、もう片方は、知覚やイメージの感性(Ψ10)になっているとの事。
ヌースクールシーズン2で扱う観察子は、構造から働きの話に入るようですね。
また、思形は客観性で、感性は主観的なイメージで、この二つが人間の基本軸(既に備わっているもの…ですかね?) になっているようです。
また、思形は客観性で、感性は主観的なイメージで、この二つが人間の基本軸(既に備わっているもの…ですかね?) になっているようです。
ボロメオの輪を用いると、「汝と我」は真ん中上部の現実界の世界観で、我とそれは、象徴界や想像界においての関係性になっているとの事。
現実界は「あなたとか、わたし」以前の「君と、君の君」の世界観なので、「わたし」が不在の世界観であると言えそうです。
ですから、私たちは何を思考するにしても、我と汝を通して思考することが必要です。それによって世界は単なる対象ではなくなり、すべてが我と汝の織りなす関係性として見えてくるのです。宇宙は倫理で成り立っている、倫理と論理は一致しなければならない、とヌースが言うのもそういう背景からです。
— 半田広宣 (@kohsen) May 27, 2021
まとめ
最終回のレクチャーはいかがでしたか?今回も怒涛の展開(?)だったので、色々と頭の中を整理する必要があったかと思います。
今回のまとめは、内容をまとめるより、最後の最後に紹介された魚の日の交信部分を残した方が良さそうなので、ここに転載しておきます。
交信記録「魚の日」
コ : アフリカのドゴンという部族の神話に、シリウスに関する神話があるのですが、ご存知ですか。
オ : もちろん、知っています。
コ : ドゴンの人々は、昔、この地球上にシリウスからやってきたノンモという生命体がいたと言うのです。ノンモは地上に降り立って、まず、海を支配し、それから陸へと、その支配を進めていったと言われています。この、ノンモとはどのような生き物だったのでしょうか。
オ : ノンモ……ですか……それは、あなた……のことではないのですか。
コ : えっ……あなたって……僕のことですか。
オ : いいえ、……あなた……です。
コ : ……?……どういうことでしょう。
オ : だから……「あなた」……です。
コ : ………………。
魚の日と言えば、私の好きな動画をご紹介しますので、よければこちらもご覧ください。
河村悟さんの静かで柔らかな声と共に紡がれる言葉がとても心地良い動画になっています。
一般公開されているものだと、こちらの記事内に動画の一部が載っていますので、メンバー外の方はこちらでご覧ください。
因みに…ですが、魚の日についての半田さんの見解を伺った事がありますので、その時の回答(メルマガに記載されました)URLを載せておきますね。
という事で、精神球のまとめは以上になりますが、ヌースクールの最終回の総括的なまとめを言葉で残すより、以前に書いた絵がピッタリくるような気がしますので、画像を紹介して終わりにしたいと思います。
タイトルは、
上段:シャンバラの彼方ニテ
下段:無ジン島
です。
それでは、また!
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