(川瀬統心さんのメッセージ)
《第1回:10/9》入学式・オリエンテーション ~ 顕在化と潜在化 ~
まずは軽く地ならしと行きましょう。全10回のカリキュラムの見通しや、ヌーソロジー学習のポイント・方向性などをざっくりと概観したいと思います。そして「顕在化と潜在化」という、『統心ヌースクール』を貫く中心的テーマについてのお話もしたいと思います。後半では参加者の皆さんと双方向でやりとりする時間も試してみたいですね。お気軽にご参加ください。
統心さんのライブを視聴して感じた事は、ヌーソロジーの救済システムみたいなイメージだなぁ…でした。
という事で、ゆるぬーではサイト主の感想や、(少しだけですが)内容を整理したものを書き留めてみますので、復習のお供や、同じ疑問を持たれた方の参考になれば幸いに思います。
新しい思考(純粋思考)
「人間が経験出来ない事を思考する=先験的な思考」のイメージで説明されていたかと思います。このような思考は、人間の感じる経験や体験とは違い、人間が感じる以前の世界の事や、人間の世界を生み出す側の世界を考えるようなイメージです。
つまり、「今日のお昼は何を食べようか?」や、「雨が降りそうだから傘を持って行こう」と考える事、またはテストの問題を解くような思考とは、全く違う思考が有る事を示しています。
それでは、新しい思考の対象である、人間の世界を生み出す側の世界とは、どのようなイメージでしょうか。
私達人間の暮らす世界は、現実の世界の事ですね。
そして現実の世界は、現象が現れており、それらを見たり聞いたりすることが出来る、人間の体験的な世界の事です。
このような体験的な場を人間の世界だとしたら、人間以前の世界は、人間の前には現れていない(見たり聞いたり出来ない)世界の事で、これが潜象世界のイメージです。
現象界や潜象界の関係は、表と裏のようなイメージで考える事が出来ます。
例えば、サイト主のイメージの中では、潜象の世界で起きている蠢(うごめ)きのようなものが、人間には現象となって見えているようなイメージです。
例えば、パソコン内部の計算や機械的な処理を見る事は出来ないけれど(これが潜象)、パソコンで文字を打ったり動画を作ったり出来ますし、それらを見たり聞いたりする事(これらが現象)も出来ますね。
また、統心さんは潜象界を無意識、現象界の事を顕在意識と説明されていました。
ヌーソロジーの顕在化とは?
次に、人間以前の世界の事を考えたり、そこに入る事がヌーソロジーの顕在化だと説明されていたように思います。ヌーソロジーの言う顕在化とは、普通の意識では決して見る事の出来ない(現れる事のない)、人間以前の世界や、潜象の世界、または、無意識の世界を思考したり、意識として顕(あらわ)に理解したりするイメージになるでしょうか。
単純に言うと、人間には見えない世界の事を思考し、その仕組みを理解する事がヌーソロジーの顕在化のイメージになるかも知れません。
表現が捻じれているのでややこしいのですが、潜在化している事を、顕にする事を顕在化と言うようですね。
感想
ヌーソロジーの顕在化のイメージが、今回のライブで掴めたのではないでしょうか。そして顕在化とは、人間の欲求を超えた世界の住民になる事と言えそうですね。
そんな世界へ飛び込む事を試みるのが、変換人への第一歩と言って良いかも知れません。
まさに、プラトンの洞窟の比喩のように、洞窟から出る事を考え始める意識と言えそうです。
ここから個人的に感じている事になりますが、スピリチュアルで語られている目覚めや覚醒は、ヌーソロジーの顕在化と同義のように思います。
ところが、彼らが語っている内容や方法は、人間の感覚を先に延ばした概念の域を出ておらず、その内容は、昔から語られている道徳や宗教的なお話であり、言い換えると、人間の善性を元にした価値感や生き方のように聞こえます。
つまり、人間の感覚を洗練させたものと言えるので、人間の世界を脱したとは言いにくいように思います。
今回の内容を踏まえると、ヌーソロジーの変換人の道の前提にあるのは、「隠れた世界は、現れた世界の延長線上には無い」と考える事が出来ます。
つまり顕在化とは、見えない世界を思考する事で、それは人間の延長的な世界の先には無く、人間の価値観を広げて思考する事とは全く違う方法であると言えます。
「人間の意識が生じる以前の世界について考える…」
ヌーソロジーの語る思考とは、人間が生まれる以前や人間の意識の成り立ちを考える事で、これは経験的な思考とは全く別の思考方式を使うという話になるのですね。
言い換えると、人間的には新しいと感じる思考とは、人間の価値観に染まっていない事から、純粋な思考と呼ぶなのかな?なんて思いました。
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