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ヌーソロジー漫画 ゆるっとぬーそろじー#32「人間の外面と内面 part2(2/2)」

ヌーソロジー漫画 ゆるっとぬーそろじー#32「人間の外面と内面 part2(2/2)」
ヌーソロジー漫画 ゆるっとぬーそろじー#32「人間の外面と内面 part2(2/2)」

人間の外面と内面シリーズでは、視線が4次元からの視線で、それが時間に該当する…といった内容でしたね。

ここで少しだけ復習になりますが、part1のお話では、私達が認識している空間、つまり知覚の世界での視線の性質のお話になっていたかと思います。

そして文字通り、知覚正面が3次元空間を「面」のように捉えている視線だとすると、それは4次元からの眼差しで、空間の奥行とは異なる性質の奥行きに該当する…といった話だったかと思います。

それから3次元空間のXYZの3軸を「水」の文字のように見立てれば、私達は、空間を2次元の面の様に知覚していると考える事が出来るので、この時の観測者の見る方向にあたる空間を人間の外面といって、見えない裏側からの視線が見る空間を、人間の内面と説明されていました。

つまり、私たちそれぞれが「見る」方向に「見えるもの」は、個人個人の知覚の世界であり、それは観測者の主観になっているといったお話になっており、一方の反対の裏側から「見られる」方向の世界は、私である観測者の動く姿が「見られる世界」なので、観測者からは見る事が出来ない客観的な世界になっていると言えます。


もし、視線が4次元からの視線だとしたら。
客観的な見られる方向の視線は、その視線が見ている空間の中に、私と対象物が存在する世界です。
という事は、その客観的な誰かの視線は、物を見ている私を見る事が出来ますので、私の見るの行為に、具体的に〇〇センチ離れているだとか、〇〇メーターといった推測的な距離を見る事が出来ます。

(*この事を、ショート動画にしていますので、参考にご覧ください)


という事は、見られるは、私の見るの視線が実に見られている世界になっていて、この事が3次元空間+時間の4次元時空の概念になっていると考える事が出来るんですね。

こんな風に言われると、普段の生活で意識は出来ないのですが、私達が見ている空間は、主観的な空間と、客観的な空間が目の前で重なっている…と言った言い方も出来ますね。

さて。
私である観測者の視線は、知覚そのものを支えている視線になっていますから、その視線には自分の視線を入れる事は出来ません。
つまり、自分の見るを自分で見る事は出来ませんから、観測者そのものが物を見ている視線の線分には、実的な距離を見る事は出来ません。
あくまで物と自分の間を経験的な観念で捉えた、推測の空間で想定したものでしかないという事ですね。

という事は、主観的な推測の視線を客観的な視線と同じように時間を当てはめるとしたら、この時の時間…つまり主観的な時間は一体なんだ?といった話になります。